深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『真夏の死』

晦日は何も書けなさそうと言っておきながら、

本を読み終えたのでレビューなぞ。

新装版『真夏の死』を堪能。

著者自身による解説付き、1946年~1963年に発表された短中編、全11編。

バラエティに富んでいるが、いずれもどこかシニカルな味わい。

 

真夏の死 (新潮文庫)

真夏の死 (新潮文庫)

 

 

■煙草(1946年)

 良家のお坊ちゃまが学校の先輩との接触から少し背伸びしてみようとするが、

 上手くいかず、現実と理想のすり合わせに失敗する話で、

 その媒介となっていたのがタバコだった。

 

■春子(1947年)

 新任の運転手と駆け落ちしたものの、彼が戦死したため、

 残されたその妹・路子を伴って佐々木伯爵邸へ戻った春子、

 すなわち語り手の青年「私」の叔母(母の異母妹)について。

 語り手の性欲と、それを見透かして誘惑してくる春子、及び、

 彼女と特別な間柄の路子との三角関係が描かれる。

 春子と路子、双方に惹かれ、彼女らの間に割って入りたいと思う「私」は、

 そのために与えられた女物の浴衣を纏ったり化粧の真似事をしたりして、

 女に近づくことを要求されるのだった。

 基本設定がまだるっこしいが、

 それも春子と関係を持ったり路子を想ったりして悶々する

 「私」=「宏(ひろ)ちゃん」(19歳)の揺れる心情を表現するのに

 必要だったのかもしれない。

 

■サーカス(1948年)

 サーカスの大道具係の少年少女が密会し、

 見咎めた部下が団長の前に二人を引き据える。

 団長は彼らにスターの素質を見出し、

 観客の喝采を浴びる身に仕立て上げたが……。

 冷酷そうに見えて意外に内面が屈折した団長の夢想と嫉妬心が描かれる、

 残酷なメルヘン調の佳品。

 

■翼(1951年)

 従兄妹同士で幼馴染みの杉男と葉子は

 互いに微妙な距離感をもどかしく思いつつ、

 静かに愛情を育みながら成長していった。

 二人は相手の背中に翼を幻視し、

 自分たちが同族で結ばれるべき者同士だと感じながら

 戦争をやり過ごそうとしたが――。

 善良な個人のささやかな幸福が無惨に打ち砕かれ、

 生き残った側は世の中が平和になっても

 ずっとギクシャクした違和感を覚えながら不器用に歩んでいかねばならない。

 

離宮の松(1951年)

 鰻屋の主人夫婦の子の子守りとして雇われている少女・美代は、

 その乳児・睦男をおんぶ紐で背負って出かけた。

 店が混むとわかっているときに睦男がむずがっては困るからだった。

 銀座を闊歩した美代はその足で浜離宮へ。

 以前そこで偶然出会った青年にまた会いたいと思っていると……。

 本当に好きかどうかは恐らく当人もわかっていないが、

 少なくとも嫌いなタイプではない年上の男性に、

 自分にとっての「この世」の外へ連れ出してほしいと願う少女の気持ちは

 理解できるし、自ら軛を外すところに大きな意味があるような気がする。

 ところで、このストーリー、

 頭の中で楳図かずお漫画になって流れていった(笑)。

 既読の三島作品では「スタア」(『殉教』収録)に続いて二度目。

 

殉教 (新潮文庫)

殉教 (新潮文庫)

 

 

クロスワード・パズル(1952年)

 熱海の某観光ホテルのボーイの中でも一際男前の青年が、

 決して美女とは呼べない女性と結婚した。

 何があったのか問う同僚に彼が語った経緯は……。

 作中にクロスワードパズルそのものは登場しないが、

 美貌の人妻に振り回される美青年の、

 ちょっとした謎解きがまさにパズルだなと途中で気づいたし、

 読者としても彼がドキドキしながらラヴ・アフェアに向かっていく展開に

 胸がざわめいたけれども、結末は皮肉で、そこがまた面白い。

 本文中で度々言及される客室の「鍵」は

 パズルのタテのカギ、ヨコのカギの比喩で、

 彼は最後に不美人だが無茶しない従順な女と結婚するが吉――

 という答えを得たのだろう。

 しかし、藤沢夫妻は随分遅い時刻にチェックインするなぁ(笑)。

 

■真夏の死(1952年)

 有能で高給取りの夫・勝と三人の愛児に囲まれて何不自由のない暮らしを送る

 生田朝子(ともこ)は、

 子供たちと子守り役を務めてくれる夫の妹・安枝と共に

 伊豆の海岸付近の宿に泊まった。

 しかし、朝子が昼寝している間に長男・長女が溺死し、

 助けようとした安枝も心臓麻痺を起こして帰らぬ人となった。

 愛児を失った悲しみと罪の意識に苛まれつつ、

 周囲からの慰めの言葉に自分への思いやりが足りないように感じて

 不満を覚える朝子と、そんな妻を持て余す勝。

 だが、無事だった次男に過保護に接して暮らすうち、朝子は四番目の子を懐妊。

 二年後、桃子と名付けた新しい娘をも伴って、

 何故か忌避すべき問題の海へ再び赴こうと言い出す朝子。

 人は幸福に慣れると新しい刺激を求めるように、

 不幸から立ち直りかけると更なる痛手を欲するものなのか。

 治りかけた傷を覆う瘡蓋を

 痛むとわかっていてわざわざ剥がそうとするかのように。

 とはいえ、個人的な悲劇に陶酔し、

 自分をより過酷な状況に追い込もうとするタイプの人物も確かに存在する。

 

■花火(1953年)再読。

 花火大会でのアルバイトを斡旋された大学生。

 待合茶屋のスタッフとして賓客をアテンドすれば、

 心付けが貰えるという話だったが……。

 客=運輸大臣が主人公の顔を見て動揺したのは、

 仕事を紹介した青年に瓜二つだったせいらしいが、

 何故、大臣が青年を恐れていたのか、

 恐怖の源泉が明らかにされないところが恐ろしい。

 ……という、

 初めて読んだときの感想以上のコメントは浮かんでこない(苦笑)。

 

 

■貴顕(1957年)

 語り手「私」の幼少時からの友人だった華族の柿川治英について。

 静的な芸術つまり絵画を愛好するも実践せず、ひたすら鑑賞に徹したが、

 戦後、ひいては結婚後、

 体調を崩してからはエネルギーの枯渇と反比例するように、

 頼りない医師や真心が感じられない見舞い客などの悪口を

 妻に漏らすといった具合に俗化していった治英。

 「私」は彼が死を前にして突如、生来の淡白さを失い、

 いかにも人間らしい人間になったのだと感じた。

 その様子とコントラストを成す、

 俗物化せず、高貴なまま淡々と枯れて年老いたかのような

 治英の父・柿川侯爵の佇まいが幽玄にして不気味。

 貴顕は短命に終わらなければ淡白に熟成するのだろうか。

 ちなみに、治英のモデルは

 三島の友人だった美術研究者・徳川義恭(1921-1949)。

 

ja.wikipedia.org

 

■葡萄パン(1963年)

 1960年代の、いわゆるヒッピーの、

 特別な何事かが起こりそうで結局何も起こらない、

 残されたのはセックスの後ほったらかしにされた女(=友人の恋人)の

 面倒を見てやること(介抱というより後戯か?)だけ。

 

■雨のなかの噴水(1963年)

 女と付き合って振ることを目標として雅子に優しく接してきた明男は、

 雨の日、喫茶店で別れを告げた。

 雅子は号泣するも、明男について歩いてきたが……。

 リラダン風のひねくれたコントといったところ。