100分de名著『谷崎潤一郎スペシャル』全4回を録画して一気に鑑賞。
濃いっっ(笑)!
Chapter-1「痴人の愛」
世間の価値観が時代と共に変化してもブレなかった独自の谷崎美学に迫る。
彼は日本文学に脈々と息づく色好みの正統な後継者だったか。
その証拠に、
自分好みの女性に育ちそうな小娘を手塩にかけて理想を実体化せんとする、
そして、語り手の五感を通して構築される女性の美には、
谷崎の鑑賞眼が活きている。
醜行から立ち昇る絶対的な美→男尊女卑思想の敗北。
男たるもの……などと肩肘張って生きるより、
本当は若く美しく溌溂とした女に足蹴にされたい、
なんていう秘めた欲望に忠実になった方が、余程楽しい人生ではないですか?
とでも問いかけているかのよう。
Chapter-2「吉野葛」
「吉野葛」の三層構造=意識~無意識への旅――
語り手の旅と執筆の動機 >> 同行する友人の事情 >> 現地での出来事――
は、泉鏡花文学の型と共通するか。
若くして亡くなった母は決して年老いないので、
イメージの世界で永遠の美女として生き続ける……という発想。
また、日本橋生まれの江戸っ子・谷崎の関西移住は、
関東大震災がきっかけではあるが、西への移動は
中央への離反=母権性あるいは敗者の歴史への傾倒からではなかったか……。
Chapter-3「春琴抄」
句読点がほとんどなく一気呵成に語られる、意図された聞き書き風の文体。
時代背景に言及しない書き方は、
谷崎自身の愛への引き籠もり生活(細君譲渡事件~再婚~不倫、等々)と呼応。
ひたひたと迫る軍靴の音から耳を塞いだような態度にも、
男尊女卑思想の否定が読み取れないだろうか。
そして、虚構の時間を現実の時間と重ね合わせなかったからこそ、
作品を古びさせないことに成功したのではなかろうか。
ところで、日本を代表する大文学者の他の代表格、
谷崎は語り手の目に映ったものの描写より、それ以外の感覚を研ぎ澄ませて、
例えば暗がりの中で手を触れたら冷たかった、柔らかかった……といった、
より肉感的な叙述を得意とした。
『春琴抄』は学生時代に読んだが、感想は「佐助どんはマゾよねぇぇぇ」だった。
しかし、時間が経って思い返すに、結局、
事態は佐助の望んだとおりに展開したのだろうと感じられるようになった。
春琴‐佐助=主‐従 と見えて、実は逆だったのではないか……と。
Chapter-4「陰翳礼讃」
日本における西洋化の波が上流階級から庶民レベルにまで下りてきて浸透した後、
江戸の伝統への懐古が谷崎に書かせたのが『陰翳礼讃』か。
時代に囚われない作家だった谷崎は、
それでいて逐次変態性をアップデートしていったらしい。
解説者・島田雅彦の
「男尊女卑主義者に谷崎流土下座の作法を学んでほしい(笑)」に膝を打った。
吹越満さんの抑制的なナレーションも素晴らしく、濃密な100分間を堪能した。