1950年7月2日未明に起きた金閣寺放火事件の犯人・林養賢と、
事件を元に『金閣寺』を執筆して高く評価された三島由紀夫について、
ノンフィクションにして作家・三島論という、
精神病理学と文学論を縒り合わせた一冊『金閣を焼かなければならぬ』読了。
林の内面と三島が透視した風景を抉り、白日の下に晒したかのような――。
事件当時、逮捕された学僧・林養賢は動機を「美への嫉妬」と称し、
一つの情報として漠然と承知していたが、読み進めるうちに目から鱗。
林養賢は統合失調症となったために自らの職場に火を点けるほどの
惑乱に陥ったと、ずっと誤解していた。
元々、性格的に独特な偏りのある人物ではあったが、医師の診断上、
発病したのは1951年2月頃で、裁判で懲役七年が確定した直後だったという。
北山鹿苑寺で僧侶としての務めに従事しつつ大学に通わせてもらっていながら、
さしたる理由もなく学業を放擲した彼は、
後ろめたさから「皆に嫌われ、悪口を言われている」と思い込み、
師である住職・村上慈海が自分の企みを見抜いている、
秘密を知っていると直感。
では、その秘密とは何かと自らに問いかけたところ、
「金閣を焼こうと思っている」との想念に立ち至ったのではなかろうか……と、
著者は推察する。
狂気のポテンシャルが様々な偶然の重なりによって臨界点を超え、
動機や理由に回収できない地点にまで辿り着いたのでは、と。
少し飛躍し過ぎの感もあるが、バート・レイトン監督の
2004年にアメリカで起きた事件を元に作られたクライム・サスペンス青春映画
『アメリカン・アニマルズ』を連想した。
退屈な日常に風穴を開けたいと思った男子大学生が犯罪を計画し、
実行しようとするドタバタ劇。
特別な人間になりたい、他人には出来ない何事かを成し遂げたい――
と思った時点で、
自分が天才でないことを認めるべきだと達観するに至る
青春の蹉跌を描いている。
ただ「何か大それたことをやらかしたい」という衝動が先走り、
理由は後付けになっているところが金閣寺放火事件と共通する気がした。
もっとも、こちらの映画の登場人物およびモデルとなった当事者たちは
精神的な病に陥りはしなかったが。
話を元に戻すと――。
『金閣を焼かなければならぬ』のもう一人の主人公、
三島由紀夫(本名=平岡公威)は恵まれた環境に生まれ、
世間並みの苦労を知らずに育ち、しかも早くから類稀な文才を発揮したため、
文芸によって独自の空間を作り上げ、その中に自身を封じ込めて、
リアルな生活上の実感から紡ぎ出された小説とは異質な美の世界を
構築するに至った。
世の中の様々な事象は実体験の前に頭の中で組み立てられ、
完結してしまっていた。
そこから脱出するための開口部として、晩年の肉体改造や、
最終的には割腹による自決という行為を必要としたのだろうか
――といった話になってくる。
後で読もうと思っていた『金閣寺』のオチを先に知ってしまったけれど(笑)
それはそれとして、じっくり楽しめそうな気がする。
映画版もいつか鑑賞する機会があるだろうか……。