ちょうど半分くらいまで読み進めた
読了後にも何やら語りたくなるかもしれず、
そうすると重複する可能性が高いですが、
取りあえず今日気になったことをメモ。
Ⅲ 澁澤龍彦とともに(対談・書評・書簡篇)の「鏡花の魅力」。
三島由紀夫と澁澤龍彦の『日本の文学4 尾崎紅葉・泉鏡花』(中央公論社)
月報での対談(1969年)において、三島曰く(p.180-181)、
> ニヒリストの文学は、地獄へ連れていくものか、
> 天国へ連れていくものかわからんが、鏡花はどこかへ連れていきます。
> 日本の近代文学で、
> われわれを他界へ連れていってくれる文学というのはほかにない。
> 文学ってそれにしか意味はないんじゃないですか。
ここで膝を叩いて大きく頷いてしまった。
確かに、私も「どこかへ連れ出してくれる小説」を読みたい。
それから、
同じく『日本の文学34 内田百閒・牧野信一・稲垣足穂』(中央公論社)月報での
澁澤との対談中、
三島は収録した足穂作品の選出基準を語りつつ、意味深な発言(p.191-192)。
> 僕はこれからの人生でなにか愚行を演ずるかもしれない。
> そして日本じゅうの人がばかにして、もの笑いの種にするかもしれない。
> まったく蓋然性だけの問題で、それが政治上のことか、私的なことか、
> そんなことはわからないけれども、
> 僕は自分の中にそういう要素があると思っている。
嗚呼……(わかっちゃいるけどやめられなかったのね)。
鏡花の作品は、あちこち摘まみ食い的に読みつつ、
押し寄せるイメージの波に翻弄されるのが楽しくて、
あまり内容を吟味したことがないので、
いずれじっくり再読したいと思っている。
三島&澁澤が絶賛していた「日本橋」など、
確かに初めて読んだとき「おおおーっ」と大いに嘆息したものの、
ふと気づくと、
どんな話だったか忘れているという体たらくだもんで(苦笑)。