深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『J.G.バラード短編全集』②「歌う彫刻」

アンソロジー『疫病短編小説集』を読み、

 

 

「集中ケアユニット」に衝撃を受けて、

長年何となく難解そうだからと手を出しかねていた

J.G.バラードの短編全集を一括購入。

第2巻は1961~1963年の間に発表された18編。

SFあり、幻想譚あり、シリーズ《ヴァーミリオン・サンズ》ものもあり。

 

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以下、全作品について、つらつらと(極力ネタバレを避けます)。

 

重荷を負いすぎた男(The Overloaded Man,1961)

 郊外の団地で妻と暮らすハリー・フォークナーは日常生活に倦み、

 仕事も辞めてしまったが、それを切り出せずにいた。

 彼はあらゆる煩わしさから自己を解放する術を編み出し……。

 「妻」の立場からすると実にしょうもない話だが、

  生きることそのものがかったるくなってしまうのは

 1960年代初頭も2020年代の今も同じかと苦笑。

 

ミスターFはミスターF(Mr F. is Mr F.,1961)

 チャールズ・フリーマンは妻の胎内で子供が成長するにつれて

 若返っていった。

 堂々とした有能な妻に、いいようにあしらわれる夫の苦痛と恐怖。

 

至福一兆(Billennium,1961)

 ジョン・ウォードは――彼に限らず誰もが――集合住宅に住んでいたが、

 単身者に一部屋、一世帯に数部屋が割り当てられていたのは

 50年も昔の話で、今や各自の専有スペースが僅か4㎡という狭さだった。

 人口爆発によってプライヴァシーが保てなくなった

 貧乏くさいディストピア奇譚。

 それにしてもヒトがよすぎるぞ、ジョン(笑)。

 この閉所恐怖症的感覚の根底にあるのは作者の収容所体験だろうか?

 ――と思ったら、そのとおりだと解説に書いてあった。

 タイトルはmillennium=ミレニアム=千年紀のもじりと思われるが、

 billionなら1兆ではなく10億では? というツッコミは野暮か(笑)。

 

優しい暗殺者(The Gentle Assassin,1961)

 新国王即位パレードの日、ロンドンに現れた

 ロジャー・ジェイミソン博士には重大な目的があった――。

 彼が国王を暗殺しようとしているかに思わせて、実は……

 というタイムトラベルSFなのだが、時代設定はどうなっているのか?

 博士は「ジェイムズ三世王戴冠」で「新ジャコビアン時代」が始まる

 と言っているが……??

 ちなみに現女王エリザベス二世の即位~戴冠は1952-1953年の出来事。

 

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 ジェイムズ三世(1688-1766)とは王位請求者に過ぎないし、

 アメリカ大使館(アメリカ独立は1776年)の存在と整合性がない上、

 彼がその会話を交わす相手はタクシー(!)の運転手である。

 よってこれは改変歴史SFなのか?

 

正常ならざる人々(The Insane Ones,1962)

 誤解と偏見によって精神医療が違法化された社会で、

 グレゴリーはそれでも良心に従って施療を続け、服役までしたが……。

 

時間の庭(The Garden of Time,1962)

 妻と共に湖畔のヴィラで宝石を育む植物を愛でながら優雅に夏を過ごす

 アクセル伯爵。

 そこは《時間の庭》で、

 夫妻は宝石を摘み取っては流れる時間を引き伸ばして

 破滅の日を先送りにしていた――という美しい幻想小説

 アクセル×伯爵で、どうしてもリラダンを連想してしまうが……どうなのか。

 "Vivre ? les serviteurs feront cela pour nous."

 

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ステラヴィスタの千の夢(The Thousand Dreams of Stellavista,1962)

 十年前、駆け出しの弁護士だったハワード・タルボットは

 妻フェイと共に

 砂漠のリゾート《ヴァーミリオン・サンズ》ステラヴィスタ99番地の

 中古住宅を購入。

 それは住人の精神状態に応じて様態を変化させる

 向心理性建築(サイコトロピック・ハウス)で、

 夫妻は過去の居住者の残留思念に翻弄されることに。

 動きのない平凡な住居を退屈と考え、妻を省みない語り手と、

 彼を翻弄する悪女のような家。

 グラマラスだが性格の悪い女性を

 面白がって追いかける愚かな男の姿をイメージした。

 

アルファ・ケンタウリへの十三人(Thirteen to Centaurus,1962)

 アルファ・ケンタウリを目指して宇宙を航行する多世代型宇宙船。

 だが、16歳のエイベルは重大な秘密を察し、自分なりに検証を行っていた。

 最初は、〈世界〉全体と捉えていたものが一個の宇宙船だったという話、

 ハインライン『宇宙の孤児』を思い出しながら読んでいたが、

 途中で「逆(?)」だとわかったときのショック。

 

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 ちなみに『宇宙の孤児』は1963年の作品なので、

 バラードの方が一年早く、

 宇宙船を巡るより残酷なストーリーを発表していたことになる。

 同時に、萩尾望都の名作SF短編「スローダウン」をも連想した。

 

 

永遠へのパスポート(Passport to Eternity,1962)

 最高裁判事クリフォード・ゴレルと妻マーゴットは

 目新しいバカンスの行き先を探したが、

 秘書トニーの奮闘も虚しく事態は紛糾――。

 怪しげな旅行代理店が提案する奇ッ怪なツアー内容の列記が愉快。

 エンディングで呪みちる「夜空に消える」を連想した。

 

火星高校の夜 呪みちる初期傑作選II

火星高校の夜 呪みちる初期傑作選II

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砂の檻(The Cage of Sand,1962)

 砂漠と化したケープ・カナヴェラルの廃墟群で暮らす

 ブリッジマンと友人たち。

 疎開が進む地域に居残る彼らにはそれぞれの事情があった――。

 一種の三角関係だが、色恋沙汰に発展しないのは作者が潔癖症だからか?

 ともあれ、アメリカが未曽有の繁栄を謳歌していた頃に、

 その先の宇宙開発時代を通り越して

 未来の荒廃の情景を透視したセンスはさすが。

 

監視塔(The Watch-Towers,1962)

 学校教諭チャールズ・レンサル――但し休校につき休業中――他、

 街の人々は常に《監視塔》を意識して行動を慎んでいた。

 チャールズはそんな空気に反発して

 ガーデンパーティという名の集会を申請したが……。

 彼の恋人の名が「オズモンド夫人」と書かれているのが引っ掛かる。

 夫が不在の人妻なのか未亡人なのか、後者なら特に問題はないと思うが、

 ともかくも、二人は人目を憚る関係らしく、

 彼が彼女の家を訪問する際は特に神経を尖らせている風。

 いずれにせよ、最後は彼一人が取り残されてしまうのだが。

 

歌う彫刻(The Singing Statues,1962)

 全集①収録「ヴィーナスはほほえむ」(Venus Smiles,1957)

 にも登場した、音楽を奏でる彫刻作品の話。

 こちらは制作者が主人公で、

 購入者である元女優に魅せられてあの手この手を……。

 

九十九階の男(The Man on the 99th Floor,1962)

 ビルの百階へ階段で到達しようと試みるが、

 後少しのところで身体が動かなくなってしまうフォービス。

 彼を苛む強迫観念の正体は……。

 

無意識の人間(The Subliminal Man,1963)

 妄想に囚われた男ハサウェイに付きまとわれて迷惑している医師

 ロバート・フランクリンは、ある日、

 ハサウェイの言い分が正しかったと気づいて慄然とした――。

 人々はサブリミナル広告の命令に従って

 家具・家電等を絶え間なく買い換え続けるために猛烈に働いて

 稼がざるを得なかった――というオブセッション小説だが、

 あらゆる商品を軽いノリでポチりまくる現代人は、これを

 昔の好景気期のグロテスクな戯画と一笑に付すことが出来ないのでは?

 諸星大二郎「広告の町」(1979年)と

 岡崎京子「我買うゆえに我有り」(1990年)を同時に連想した。

 「買わないと殺される(でも一体だれに?)」

 

 

爬虫類園(The Reptile Enclosure,1963)

 生理学教授ロジャー・ペラムと妻ミルドレッドは

 浜辺のテラスで他の海水浴客たちをぼんやり眺めていた。

 ロジャーは仕事の話を口にするがミルドレッドは取り合わず、

 退屈そうにしている。

 ラジオでは人工衛星打ち上げの実況中継をしていた。

 すると……。

  そもそもロジャーは自身の専門分野に関わるそのこと

 妻に告げようとしていたのに聞き入れられなかったのだ。

 訳が淡々と不気味さを表現しており、読みやすく素晴らしい。

 

地球帰還の問題(A Question of Re-Entry,1963)

 五年前、地球に帰還したはずの月面探査ロケットの操縦士

 スペンダー大佐は行方不明。

 大佐が操縦していたゴライアス7号は南米に落ちたとのことで、

 国連職員コノリー中尉はスペースカプセルと大佐本人を探しにやって来た。

 アマゾン奥地のジャングルには現地民を束ねているらしい

 ライカーという男がおり、コノリーは協力を求めたが反応は芳しくない。

 コノリーは、ライカーが何故地元の人々に畏敬の念を持たれているのか、

 その秘密にも関心を抱いた――。

 コンラッド『闇の奥』を思い出したが、

 ライカーの人心掌握術の鍵が判明したところで

 諸星大二郎『マッドメン』を想起した。

 

 

 

 人類の月面着陸の六年前に「行きて帰りし(はずの)人」を取り扱い、

 しかも、宇宙探査と人間心理の影の部分をリンクさせた点が驚異的。

 

時間の墓標(The Time-Toms,1963)

 砂の海は広大な墓地で、

 そこには死者の復活を願って遺体から内臓を摘出したミイラならぬ、

 個人のデータを記録したメモリ媒体が埋葬されていた。

 それを盗掘するトゥームレイダーが見出したファム・ファタール像。

 作者は生身の、ではなく理想・空想上の美女に強いこだわりがあるのか。

 身体的な接触への欲望を伴わない、

 オブジェとしてただ見つめるためだけの。

 

いまめざめる海(Now Wakes the Sea,1963)

 リチャード・メイスンは夜、近くに住んでいるわけでもない――

 妻のミリアム曰く千マイル離れている(!)――のに、海の音を聞き、

 潮の匂いを嗅いだ。

 夢か、夢遊病か、それとも大切にしている貝の化石のせいなのか……。

 美しい破滅的幻想譚。

 

倦怠と強迫観念の合間に“永遠なる理想の美女”への憧れが仄めく。

短くスッキリ纏まった幻想的な「時間の庭」と「いまめざめる海」が

特に美しい。

どちらも時の流れを歪めて本懐を遂げる物語。