映画『シェルタリング・スカイ』の原作小説が有名なアメリカの作家
ポール・ボウルズが妻と共にモロッコのタンジールに移住してから、
親しくなった現地の――作家ではない――青年たちに、
思いつくまま物語を口述させ、
それを聞き書き(あるいは録音して後から書き起こし)した掌短編群。
ある意味デタラメでありながら、それでいて何となくオチが付いている風な
原書『五つの眼』(Five Eyes,1979)には
ムハンマド・ショクリーの4編も収録されているものの、
版権の継承問題から本書には収録されなかった由。
アフマド・ヤアクービー(1931-1984)
「魚が魚を食べる夢を見た男」(The Man Who Dreamed of Fish Eating Fish)
魚が魚を食べる夢を見た男が友人である猫に夢解きを頼もうとするが、
猫は鳥が来るのを待てと言う。
一年待っても鳥が帰ってこないので、猫は鳥を探しに旅に出た……。
「ゲーム」(The Game)
事故に遭わずに済んだ男が神に感謝し、十日間断食すると誓った。
しかし、そのことで妻と喧嘩になったため、家出をし、
鳥に出会い、兎に出会い……。
「昨夜思いついたこと」(The Night before Thinking)
男が三人集まっているところへラッカーサという女がやって来て
ハキームに話しかけた。
ラッカーサは脚に障碍のある息子の治療のことで助けてほしいと言うので、
ハキームは彼女の家までついて行ったが……。
結婚とは青春の終わりだからな。(p.26)
*3編はいずれもハシシュ吸飲による幻覚の渦中で即興的に口述されたという。
ボウルズは
ヤアクービーをモデルにしたキャラクターを自作に登場させたこともあり、
彼はボウルズの霊感源、創作上のミューズ的存在だった模様。
アブドゥッサラーム・ブライシュ(1943-)
「三つのヒカーヤ:臆病、愚鈍、貪欲」(Three Hekaya)
臆病:イスラム教徒とユダヤ教徒とキリスト教徒の三人がカフェで天国の話を……。
愚鈍:喋るのが不得手な青年が結婚することになったが……。
貪欲:男は牛の脚を四本買ってきてシチューを作ってくれと妻に頼んだのだが……。
「トラック運転手ウマル」(Omar the Driver)
タンジールに暮らす語り手〈ぼく〉と知人のウマルはトラックに花を積んで
他の街へ売りに行こうとしたのだが……。
*ブライシュは絵画の才能を発揮し、
モロッコとイギリスで個展を開いた経験があるとか。
ラルビー・ライヤーシー(1940-)
「異父兄弟」(The Half-Brothers)
10歳のラルビー少年は母とその夫、二人の間に生まれた異父兄弟ムハンマドとの
四人暮らし。
兄弟は仲良く遊んだり、
漁師の手伝いをして少額ながらアルバイト代を得たりしていたが、
義父アブドゥラーは何かにつけてラルビーに辛く当たるのだった。
*作品にはライヤーシーの自伝的な色調が濃く表れているとのこと。
ムハンマド・ムラーベト(1940-)
「竪琴」(The Lute)
ウマルは竪琴を弾くのが得意。
ある日、彼の前にラクダが現れ「コンニチワ」と人の言葉を話した。
それは姉に妬まれ、魔術で姿を変えられたと訴える少女だった――。
「ル・フェッラーフ」(El Fellah)
モロッコ在住のフランス人夫婦が幼い娘の世話係として地元の少年を雇った。
名はル・フェッラーフといった。
娘は彼によく懐き、二人は兄妹のように育った。
娘は彼の影響でイスラム教を理解するまでになった。
そして、16歳のとき病に臥せったのだが……。
「狩猟家サイヤード」(Sayyad)
狩猟家サイヤードは〈山男〉を倒し、生贄になるところだった少女を救った。
ハーキム(統治者)はサイヤードに褒美を取らせようと言い、
彼はハーキムの娘を妻にすることを望んだ。
しかし、娘はそれを快く思わず……。
しばらく死んでおりましたから。いまは生き返っています。(p.116)
「黒い鳥」(The Dark Bird)
王子は妖精の姫の求婚を断ったため、
彼女の母に魔法で黒い鳥の姿に変えられてしまった。
命の危険を感じて逃げ惑う鳥になった王子だったが……。
「蟻」(The Ants)
ブシュタは浮気した婚約者とその相手を扼殺して刑務所へ。
独房に現れた巨大な六匹の黒蟻が彼の指示を理解して芸を覚えたのだが……。
「衣装箱」(The Chest)
結婚し、七人の幼い娘を持つシャイフは食べる物にも困るほどだったが、
ある日、神を探す旅に出た。
犯罪者(と、その妻)や隠者に出会った後、彼は遂に神と巡り会った。
神は彼に家へ帰るようにと言った。
寝所の下に必要とするものがあるはずだから、と。
*料理人だったムラーベトはボウルズ夫妻宅に出入りして、
知人ラルビー・ライヤーシーの作品集の存在を知り、
自分ならもっと面白い話が出来る……と豪語し、
テープレコーダーに向かってあることないこと、
様々な語り(騙り)を披露したのだとか。
作品よりも四方田犬彦氏の解説と訳者・越川芳明氏によるあとがきの方が
読み応えがあって面白かったという、何ともへんてこりんな読書体験となりました。