ちょっぴりJ.G.バラードにハマッて手を出した中古本、
『残虐行為展覧会《改訂版》』。
1960年代後半に書かれた短編をまとめた作品集(全15話)で、
基本的に登場人物が共通しており、
一つのやや大きな物語を構成している――といった体裁の本。
1963年11月のJ.F.K.暗殺の衝撃と、
ラルフ・ネーダーが告発した自動車の危険性が大きな執筆動機だったのか――
という印象。
恋愛とは呼び難いドライな性の営みと、
自動車や航空機の事故がもたらす大惨事への怖れと期待(?)が
結び付けられ、互いを補完しアクセラレートするかのような情景が
無機的かつ断片的に描写される。
例えばドラマを撮影するカメラが複数台あったとする。
カメラ1、カメラ2、カメラ3……各々が異なる角度から
俳優と背景を映したとして、
通常はそれらを継ぎ合わせて一つの作品にして視聴に供するはずだが、
本作を読んでいると、カメラ1、カメラ2、カメラ3……の素材が、
それぞれ異なるチャンネルで放映されているのを、
鑑賞する側がザッピングして眺めているかのような気分になってくる。
主要登場人物の名がエピソードによって微妙に異なるのは、
各話が「彼ら」のドラマであると同時に「わたしたち」「あなたたち」の
物語でもあると言いたいがため、なのだろうか?
だが――目次は発表年の順と一致しないのだが――後半へ進むに従って
筋書きを追うのも馬鹿馬鹿しいほどの法螺話になっていく。
■ 残虐行為展覧会(The Atrocity Exhibition,1966)
ごく普通の写真をクロノグラムらしく取り扱って
時間の要素を抽出するトラヴィス医師は、
同僚のキャサリンと情事に耽ったり、
行動を共にしたりしていた。
妻マーガレットは夫の思考・内面を理解できずに悩んでいる。
■ 死の大学(The University Of Death,1968)
自動車事故の衝撃と性エネルギー放出を関連付ける物語。
■ 暗殺凶器(The Assassination Weapon,1966)
ネイサン博士はもう一つの現実を生み出すべく(?)
既に殺害された大統領に「偽りの死」をもたらす装置=《暗殺凶器》を
考案。
曰く、「ある出来事が起きたという事実は、
その出来事の発生が確実であるということの何の保障にもならない」。
横溢する暗殺されたJFKとジャクリーン未亡人のイメージ。
■ あなた、コーマ、マリリン・モンロー(You: Coma: Marilyn Monroe,1966)
砂丘のプラネタリムで知り合ったタリスとカレン。
タリスは出会いの場となった砂山とカレンの肉体のイメージを重ね合わせ、
自分がマリリン・モンローの自殺の謎を解こうとしていることに気づき、
部屋の壁に飾ったマリリンの写真には
砂丘の沈黙の時間が鏤められていると考える。
■ ある精神衰弱のための覚え書(Notes Towards A Mental Breakdown,1967)
社会運動家ラルフ・ネーダー(Ralph Nader,1934~)が
アメリカの乗用車の欠陥を指摘したことを踏まえてか、
破壊された車と惨死した(!)ネーダーのイメージを
オーヴァーラップさせる。
※死んでないっちゅーの。
■ 巨大なアメリカのヌード(The Great American Nude,1968)
身体的特徴や体調に関する数値を総合すれば
一人の女性の像を再構成することが出来ると述べるネイサン博士。
その意味では安物のポルノ写真のコレクションも
貴重な文献の一種である、と。
■ 夏の人喰い人種たち(The Summer Cannibals,1969)
名前のない男と女の情事。
但し、男は同時に「セックスはいまや概念的な行為なんだよ」と嘯く。
そして「なにか血なまぐさいできごと」が起こる。
車の座席には死体が横たわり、女の脚には血が付いていて、
ここでも自動車事故と性愛が強く結びつけられている。
■ 人間の顔の耐久性(Tolerances Of The Human Face,1969)
研究所を辞職した医師トラヴァーズの少年期の記憶。
第二次世界大戦後、日本軍の占領から解放された上海のこと、
日本へ行こうと誘われて乗船したが結局追い払われたこと。
妻の死を振り返ったトラヴァーズは、
それは概念的なゲームに過ぎないと再認。
性‐死‐エロティシズム。
■ あなたとわたしと連続体(You And Me And The Continuum,1966)
197X年の聖金曜日、無名戦士の墓に何者かが侵入しようとした。
遺留品から容疑者が割り出されたが、
その人物は三ヶ月後に浜辺で遺体となって発見された。
この事件にまつわる様々な断片的記録。
■ ジャクリーン・ケネディ暗殺計画
(Plan For The Assassination Of Jacqueline Kennedy,1966)
世界的に有名な女性――大統領夫人や女優など――を撮影して比較すると
共通のパターンが浮かび上がり、そうした映像素材を元に
精神科の患者たちに治療の一環として映画を作らせると
ポルノグラフィになってしまう……とか。
一方、ある種の自動車がユーザーに性的な興奮を起こさせるとの調査結果、
云々。
■ 愛とナパーム弾/アメリカ輸出品(Love And Napalm: Export U.S.A.,1968)
正義という名の大義名分を翳して戦争に邁進するアメリカへの皮肉(?)。
拷問などの残虐行為の映像の鑑賞が
精神的に不安定な人々に心の安寧をもたらすという実験結果が得られた――
と述べるフィクション。
■ 衝突!(Crash!,1969)
自動車事故の衝撃が性欲亢進、及び、
そこから導き出される家庭の円満さと結び付いていることが立証された
――と言わんばかりのトンデモテクスト。
■ アメリカの世代(The Generations Of America,1969)
暗殺されたアメリカの偉人たちとその遺族らの名を列記し、
誰かが誰かを撃ったという文章を繋げただけのテクスト。
しかし、銃撃こそがアメリカ社会の未来を紡ぎ出していくのだと
訴えているかのようで、皮肉過ぎて笑ってしまう。
■ どうしてわたしはロナルド・レーガンをファックしたいのか
(Why I Want To Fuck Ronald Reagan,1968)
ロナルド・レーガン(1911-2004)が将来(1981年)
アメリカ合衆国大統領になることを予見したかのような掌編。
彼の個性を肛門期(Analen Phase)的性格と捉え、
下世話な話題と結び付けている。
■ 下り坂自動車レースとみなしたJ・F・ケネディの暗殺
(The Assassination Of John Fitzgerald Kennedy
Considered As A Downhill Motor Race,1966)
アルフレッド・ジャリ「登り坂自転車レースとみなしたキリストの磔刑」の
キリストの磔刑をゴルゴタの丘で展開される自転車レースに見立てた作品の
あたかもそれが自動車レースの実況・解説であるかのように描写したもの。
甚だ不謹慎だが、スポーツ‐セックス‐機械の同質性に言及した
ジャリ作品に則って、
この事件も見ようによっては車というマシーンを用いた運動競技と、
それが導き出す破壊の快楽が横溢する事象なのだと言わんばかり。
※ジャリは昔『超男性』を読んだきりだな……。
巻末に作者と松岡正剛の1977年の対談が付されている。