深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『J.G.バラード短編全集』④「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルド・ケネディ暗殺事件」

アンソロジー『疫病短編小説集』を読み、

 

 

「集中ケアユニット」に衝撃を受けて、

長年何となく難解そうだからと手を出しかねていた

J.G.バラードの短編全集を一括購入。

第4巻は1966~1977年の間に発表された22編。

 

 

奇怪な幻想譚あり、

『残虐行為展覧会』収録の濃縮小説(コンデンスト・ノベル)あり、

シリーズ《ヴァーミリオン・サンズ》ものもあり。

この時期、複数の長編小説を物したことと関係があるのかどうか、

短編群はやや薄味な印象だが、

テーマは主に戦争とテクノロジー、あるいは生と死だろうか。

 

 

以下、全作品について、つらつらと(極力ネタバレを避けます)。

 

下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件
(The Assassination of John Fitzgerald Kennedy

                Considered as a DownhillMotor Rce,1966)

 アルフレッド・ジャリ「登り坂自転車レースとみなしたキリストの磔刑

 (『馬的思考』収録)のパスティーシュ

 

 

 キリストの磔刑ゴルゴタの丘で展開される自転車レースに見立てた作品の

 本歌取りで、JFK暗殺事件の流れを、

 あたかもそれが自動車レースの実況・解説であるかのように描写したもの。

 法水金太郎=訳「下り坂自動車レースとみなしたJ・F・ケネディの暗殺」

 (『残虐行為展覧会』)で既読。

 後から気づいたのだが、『チェコSF短編小説集』収録、

 パヴェル・コサチーク「クレー射撃にみたてた月旅行」(1989年)は、

 この作品のパロディだったのか……。

 

 

希望の海、復讐の帆(Cry hope,Cry Fury!,1967)

 砂漠のリゾート《ヴァーミリオン・サンズ》にて。

 砂の上を走るヨットで砂鱏狩りに出たロバート・メルヴィルは負傷し、

 謎めいた長身の美女ホープ・キューナードに助けられた。

 彼女の別荘には異母弟フォイルと、彼女の秘書バーバラがいたが、

 居候の身である二人は共犯者よろしく妙な目配せを交わし合っていた。

 ホープの待ち人、そして、モデルの内面までをも写し出すという

 感光性の絵の具が描出した肖像画は……。

 オートマティスムの絵画版とも言えるテクノロジーの産物たる表現技法、

 というガジェットの妙。

 但し、内容は頽廃的で浮世離れし、

 頭のネジが一本抜けてしまったような美女に翻弄される主人公――

 という《ヴァーミリオン・サンズ》テンプレ小説。

 

 

認識(The Recognition,1967)

 夏至の前夜、移動遊園地の到来に湧く町へ、

 同じタイミングで現れたみすぼらしいサーカス団――

 と言えば聞こえはいいが、

 実際は男女二人組が馬に荷車を牽かせて運んできた檻を無料で覗かせるだけ。

 たまたま行き会った語り手「わたし」は憐れを催し、

 彼らの準備作業を手伝ってやったが、

 檻の中の動物たちが何なのか、輪郭も朧で判然しない。

 ただ、確かに知っているはずの不快な臭いが立ち込め……。

 不気味で掴みどころのない奇妙な話だが、不思議に物悲しく、

 心を揺さぶるものがある。

 檻の中の正体不明の生き物は

 キルケーによって形を変えられた元・人間なのか、それとも……。

 

コーラルDの雲の彫刻師(The Cloud-Sculptors of Coral D,1967)

 砂漠のリゾート《ヴァーミリオン・サンズ》にて。

 退役した空軍少佐レイモンド・パーカーは友人たちに飛行術を伝授し、

 積雲をグライダーで造形して雲の彫刻を作って楽しんでいた。

 裕福な未亡人レオノーラ・シャネルの園遊会でも

 パフォーマンスを披露することになった一同だったが……。

 これも些か薹が立ってはいるが、ファム・ファタールに翻弄され、

 破滅する男を描いた《ヴァーミリオン・サンズ》テンプレ小説。

 

どうしてわたしはロナルド・レーガンをファックしたいのか

        (Why I Want to Fuck Ronald Reagan,1967)

 ロナルド・レーガン(1911-2004)が将来(1981年)

 アメリカ合衆国大統領になることを予見したかのような掌編。

 彼の個性を肛門期(Analen Phase)的性格と捉え、

 下世話な話題と結び付けている。

 法水金太郎=訳で既読。

 

死亡した宇宙飛行士(The Dead Astronaut,1968)

 死んで衛星として祀り上げられた宇宙飛行士の夫を愛し続ける女性の話、

 短編全集②『歌う彫刻』収録「砂の檻」(The Cage of Sand,1962)の

 ヴァリアントかと思いながら読み進め、

 最後にガツッと頭を殴られる感覚を味わった。

 こちらは人工衛星の中で死亡し、

 地球を周回し続けていた宇宙飛行士ロバート・ハミルトンが、

 衛星の寿命が尽きたため、

 今や廃墟となったケープ・ケネディ宇宙センターに帰還するというので、

 それを待ち受ける未亡人ジュディスと、

 既に彼女と事実婚状態にある男性フィリップ・グローヴズの葛藤。

 だが、思いがけなくゾッとするオチ。

 

 

通信衛星の天使たち(The Comsat Angels,1968)

 1968年、放送作家ジェイムズはプロデューサーのチャールズから、

 パリで神童と評判の少年ジョルジュ・デュヴァルの記者会見に

 同行してくれと頼まれた。

 その後、ジェイムズは資料を漁って、

 1948年から二年おきに神童を巡る大々的なニュースが流れていたことを知り、

 秘書ジュディと共に調査を進めた。

 すると……。

 

殺戮の台地(The Killing Ground,1969)

 英国はアメリカに侵攻され、全英解放戦線が戦火に身を投じていた。

 全世界的ハイテク戦争を仕掛けるアメリカから見れば一辺境に過ぎない英国

 ……という不条理劇。

 

死ぬべき時と場所(A Place and a Time to Die,1969)

 死を覚悟して迫りくる敵に立ち向かおうとする元警察署長マノック。

 侵略者の正体とは――。

 

風にさよならをいおう(Say Goodbye to the Wind,1970)

 砂漠のリゾート《ヴァーミリオン・サンズ》にて。

 ブティック〈トップレス・イン・ガザ〉を

 ジョルジュ・コントと共同経営するサムスンが商うのは、

 活性織物(バイオファブリック)で作られた服。

 それは着用者の体型に合わせて自らサイズや外観を微調整し、

 その人の気分が高揚したり落ち込んだりすれば色柄や雰囲気を変化させる。

 美容整形で15歳当時の外見を保ったままのファッションモデル、

 レイン・チャニングがそこへ現れ……という、

 《ヴァーミリオン・サンズ》テンプレ小説だが、

 殺人のトリックが独特というか、なるほどね、といった感じ。

 店名はオルダス・ハクスリー『ガザに盲いて』(Eyeless in Gaza,1936)の

 もじりで、この元ネタの引用元が

 ミルトン『闘士サムソン』(Samson Agonistes,1671)。

 

 

地上最大のTVショウ(The Greatest Television Show on Earth,1972)

 タイムトラベルの手段が発明され、

 ネタの枯渇に苦しんでいたテレビ業界がこれに飛びついた。

 過去の歴史上の大事件を生中継しようというのだったが、

 カメラを向けてみると意外に映(ば)えない光景ばかりで……。

 

ウェーク島へ飛ぶわが夢(My Dream of Flying to Wake Island,1974)

 打ち棄てられたリゾートで療養中のメルヴィル

 北太平洋の環礁ウェーク島へ行きたいと思い、

 砂に埋もれた戦闘機を一人で掘り起こそうとしていた。

 セスナの飛行訓練を行う女性歯科医ヘレン・ウインスロップと

 親しくなった彼は夢の実現可能性に胸を躍らせたが……。

 計画の頓挫によって叶わぬ夢に閉じ込められる、

 傍から見ると不幸でも当人は満足という例のアレ。

 読み終えて、

 急に座り心地が悪くなるような、ゾワゾワッとした気持ちの悪さを覚えた。

 

航空機事故(The Air Disaster,1975)

 千人の客を乗せた旅客機がメキシコのアカプルコ近くの海に墜落した

 との一報を受け、

 映画祭の取材に赴いていた「わたし」は他のジャーナリストら同様、

 事故現場へ急行した――つもりだったが、飛行機の墜落地点がわからない。

 特ダネのスクープと、それに伴う栄誉に胸を膨らませ、また、

 同時に苛立ちを募らせつつ、「わたし」は事故機と遺体の山を探して

 現地住民に情報を求め、辺鄙な山奥へ車を進めたものの……。

 名誉欲に駆られ、金で何でも解決できると考えた傲慢な文明人に

 肩透かしを食わす、貧しく無教養な人々――という

 ディスコミュニケーションの叙景。

 

低空飛行機(Low-Flying Aircraft,1975)

 出生率の異常な低下と、

 新生児が誕生したとしても先天的に致命的な障碍を負っているケースが多々

 ――という、暗澹たる近未来。

 リチャード&ジュディス・フォレスター夫妻は

 スペインの打ち棄てられたリゾートに滞在し、

 無事に子供が誕生するのを願っていたが……。

 

神の生と死(The Life and Death of God,1976)

 空間を満たす微小な電磁波の動きは

 まるでそれ自体が意識を持っているかのようだと科学者が発表したため、

 これすなわち神では?

 という話になり、世界の価値観・宗教観が引っ繰り返った――が……という、

 タイトルが出オチだろうとツッコミたくなる法螺話。

 

ある神経衰弱にむけた覚え書(Notes Towards A Mental Breakdown,1976)

 A discharged Broadmoor patient compiles 'Notes Towards a Mental  Breakdown',recalling his wife's murder,his trial and exoneration.

 ――ブロードムア精神病院から解放された患者が妻の殺害・裁判、

 そして雪冤を思い出して「ある神経衰弱にむけた覚え書き」をまとめる。

 ……の18の英単語に各々註を付す形で綴られた断章の集合体、

 という実験的な短編。

 『残虐行為展覧会』収録

 「ある精神衰弱のための覚え書(Notes Towards A Mental Breakdown,1967)」

 とは別物。

 〈病院の元検査技師レオノーラ・キャリントン〉に既視感を覚えて確認。

 恐らく元ネタはこの人。

 

ja.wikipedia.org

 

 澁澤龍彦=編訳『暗黒怪奇短篇集』で「最初の舞踏会」を

 読んでいた(この本での作家名表記はレオノラ・カリントン)。

 

 

六十分間のズーム(The 60 Minute Zoom,1976)

 スペインのリゾートを妻ヘレンと共に訪れた「わたし」は、

 予てから彼女の不貞を疑っており、

 宿泊するホテルの部屋を望遠レンズで覗き見ることの出来るアパートから、

 彼女や他の客の姿態を見つめていた。

 愛憎入り混じる屈折した窃視者の感情を60分間自動ズームのレンズに託し、

 数分刻みのレポート状に綴った短編だが、オチはやや凡庸。

 

微笑(The Smile,1976)

 骨董品店で美しい等身大の女性の人形を買い、

 セリーナと名付けて夫婦のように暮らす男――という

 ピグマリオンコンプレックスの物語。

 だが、次第にセリーナの容貌が衰え始め……。

 杉浦日向子『百物語』下之巻「其ノ六十五 絵の女の話」を思い出した。

 絵の中の美女に惚れ込んだ酒問屋の旦那が、

 自分ばかりが老いていくのは辛いと言って、

 絵に皺などを描き加えているというエピソード。

 

 

最終都市(The Ultimate City,1976)

 化石燃料を使い果たし、生き残った人々が田園にコミュニティを作り、

 自然エネルギーの利用によって質素かつ素朴な幸福に浸って暮らす社会。

 ハロウェイ少年はグライダーのコンテスト中にコースを外れ、

 廃墟と化したかつての大都市に舞い降りた。

 そこで出会った人たちと共に彼が考え出したことは――。

 過剰なエコロジー思想への反発という、

 作者の言いたいことはわかるけれども、ちょっと冗長で退屈。

 

死者の刻〈とき〉(The Dead Time,1977)

 太平洋戦争終結直後、日本軍の強制収容所の門が開いた。

 語り手の青年「わたし」や仲間は三年ぶりに外の世界に出たが、

 車を運転できる者には過酷な任務が課せられた。

 離れ離れになっている両親や妹と再会するため、

 疲労や空腹と戦いながら気力を振り絞る「わたし」だったが……。

 作者自身の収容所体験が下敷きになった短編であり、

 自伝的長編『太陽の帝国』の準備段階に位置付けられる佳品。

 大江健三郎「死者の奢り」や

 ガードナー・ドゾワ&ジャック・ダン

 「死者にまぎれて」(『血も心も』収録)を連想した。

 

 

索引(The Index,1977)

 歴史から抹消された新興宗教の教祖

 ヘンリー・ローズ・ハミルトンなる人物の未刊行に終わった自叙伝の索引

 ――という形式の小説(?)という実験的テクスト。

 スタニスワフ・レム『完全な真空』を連想。

 

 

集中ケアユニット(The Intensive Care Unit,1977)

 家族でさえ衛生と安全のため、

 別々に引き籠もって暮らすのが当たり前の世の中。

 あらゆるコミュニケーションが

 モニター越しの遠隔操作で交わされる社会で、

 掟を破った一家を襲った惨劇とは……。

 現今の新型コロナ禍の読者にとって違和感のない、

 古くも新しくもない世界観。

 会わずに済ませられるなら、

 ずっと会わない方が互いの身のためなのかもしれない……。

 曰く「愛情と思いやりには距離が必要なのだ」(p.394)

 

ja.wikipedia.org

 

ああ、残すところあと一冊か。

ちょっと寂しい……。