J.G.バラード『コカイン・ナイト(Cocaine Nights,1996)』を読了。
弟の無実を信じて駆け回る〈私〉だったが……。
英国人トラベルライターのチャールズ・プレンティスは
スペインの高級リゾート、エストレージャ・デ・マルへ向かった。
ブルジョワのための保養施設《クラブ・ナウティコ》で
支配人を務める弟フランクが殺人容疑で拘束されたためだった。
フランクは犯行を認めているのだが、
彼が引退した映画プロデューサーであるホリンガー氏邸に火を放って
一家を死に至らしめる理由がないので、警察官も弁護士も首を傾げ――。
動機なき大量殺人の謎を解くミステリと見せかけて、
退屈は罪だと考えるサイコパスが跋扈する空間に次第に魅せられていく語り手の
変節を巧みに描いた Endless Vacation 長編。
まず導入部が素晴らしい。
私の仕事は国境を越えることだ。検問所と検問所の間の細長い無人地帯は、私の目にはいつも、新しい生活と新しい匂い、新しい感情の可能性に満ちみちた約束の地のように映る。(p.9)
そんなチャールズが事件の鍵を握る人物に振り回され、
徐々に相手に好感を抱き、共感するようになっていく。
人の信念、あるいは核となっている要素が
次第に融解していく様が見事に描かれていて唸らされた……ということは、
読者である私も作中のトリックスター=反社会性パーソナリティ障害者の屁理屈に
説得力を覚えてしまったということね、嫌だわ(笑)。
高級リゾートに引き籠もったブルジョワの心身を活性化するのは
娯楽としての犯罪だ――って言ってるんですけど💧
映画化するなら、このキャラクターを演じるのはトム・クルーズがいいか
サイモン・ベイカーか――と、
春日武彦先生は『奇想版精神医学事典』(p.507)に書かれた。
なるほど……しかし、これから制作されるのならば、もっと若い人じゃないとね。
誰がいいかな(ゾワゾワ)。
最も「おお」と唸ったのは第5章の冒頭。
葬儀もまた、境界を越えることを祝する儀式だ。数々の点で最もフォーマルにして最も長く待たされる越境の儀式の一つだと言っていい。(p.96)
様々な物事を踏み越えて異なるフェーズに分け入っていく物語、なのだね。
そうして最後は血まみれのテニスコートへ……。
腕と顔に血が撥ねかかった。粘つくボールを握った私は、そのタールのような深紅色の血をみつめた。頬の血のかたまりを拭い、さらにその手をシャツの袖になすり付けた。(p.561-562)
結末は……
チャールズが、まるで壊れてしまったおもちゃを前に涙ぐむ幼児のように見えて
滑稽だが切ない。
そうか、不在の父の代役を務めるのが捜査担当のカブレラ警部なのか(納得)。