深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『母娘短編小説集』

19世紀末から20世紀末にかけてアメリカの女性の作家によって書かれた、

母と娘の関係に焦点を当てた

短編小説のアンソロジー『母娘(ははむすめ)短編小説集』(平凡社ライブラリー

を読了。

全9編中6編が南部出身作家の作品で、

いわゆるディープサウスの風土・歴史的価値基準(と、それへの反発)が

反映された物語が際立つ。

 

ja.wikipedia.org

 

以下、各編について、つらつらと。

うっすらネタバレ臭が漂うやもしれません。

 

 

シャーロット・パーキンズ・ギルマン「自然にもとる母親」

The Unnatural Mother(1895/1916)

製粉の村トッズヴィルでエスター・グリーンウッドが亡くなったが、

村の女性たちは何故か彼女を悪しざまに語る。

その時代・共同体の価値観からはみ出した自由な若い女性を、

多数派にとって気に染まない人物だからと悪罵する面々の醜さ。

その筆頭である老ミセス・ブリッグズの末娘マリア・アメリアは、

グリーンウッド夫妻は称賛に値する人たちなのに……と、

母や取り巻き連中のズレた考え方に胸を痛める。

  『病短編小説集』で読んだ「黄色い壁紙(The Yellow Wall-paper,1892)」が

  恐ろしかったので、どんな展開が……と

  ビクビクしていたのだが以外にアッサリしていて拍子抜け。

 

booklog.jp

 

エレン・グラスゴー「幻の三人目」

The Shadowy Third(1916/1923)

看護師マーガレット・ランドルフの回想。

彼女は22歳のとき、裕福なマラディック医師夫妻の家に

遅番として勤めることになった。

マラディック夫人は神経を病んでいるとのことで、

二ヶ月前に肺炎で亡くなった幼い娘ドロシーアの幻覚を見ているらしかった。

だが、マーガレットもその少女が遊ぶ姿を目撃し……。

  母と夭折した娘の強い絆を窺わせる奇妙な短編。

  但し、タイトルの「影のような三番手」が誰を指すのか、よくわからなかった。

  訳者解説によれば、マラディック医師やその友人ブランドン医師らは

  「すべてを自分に都合よくコントロールする(北部的)父権性の象徴」で、

  南部生まれの母と娘が生死を超えて団結し、彼らの力を覆そうとした――

  ということらしい。

 

ヒサエ・ヤマモト「十七の音節(シラブル)」

Seventeen Syllables(1949/1988)

ロージー・ハヤシは日系移民二世。

母トメが俳句に凝り始め、ウメ・ハナゾノなる俳号で

作品をサンフランシスコの『マイニチ・シンブン』に投稿するようになった。

どちらかと言えば日本語は不得手で俳趣を理解できないロージーだったが、

それ以上に父は母が趣味に没頭するのを快く思わない様子で……。

  初恋のときめきを覚え始めた頃、両親の結婚の経緯を知る少女と、

  そんな娘に「結婚なんてするものではない」と訴える母。

 

フラナリー・オコナー「善良な田舎の人たち」

Good Country People(1955)

ジョージア州の農場主ミセス・ホープウェルは32歳の娘ジョイの考えが理解できない。

ジョイは幼少期の事故で片足が義足、

哲学を学んで博士号を授与されている才媛なのだが、無神論者である点や、

母への反抗心から改名してハルガと名乗っていること、また、障害のためもあって、

ほぼ家に閉じ籠もりきりで他者と交遊を結ばず、

恋愛や結婚に至る気配が見えないことが、

古い価値観に従って生きる母をモヤモヤした気分にさせていた。

ある日、聖書のセールスマンだというスーツケースを引き摺った若者がやって来て、

マンリー・ポインターと名乗り、ホープウェル家で共に食事を取って帰ったのだが、

彼は夫人が見ていないところでジョイと短い会話をし、

デートの約束を取り付けていた。

ジョイはずっと年下に違いない、善良でしかも初心(うぶ)そうなマンリーを

からかうつもりだったが、逆に手玉に取られてしまい……。

  世間知らずなジョイはいつも小馬鹿にしている母同様の

  純朴な田舎者と見なしていた相手から、ひどい辱めを受けて、

  なす術もなく座り込むしかなかった――。

  実際に読んだのは初めてだが、

  概要は春日武彦先生の盛大なネタばらしレビュー(エッセイ)で知っていた💧

  どの本だったか失念しましたが。

  ああ、まっさらな状態で接してガツンと衝撃を受けたかったなぁ(笑)。

 

 

ティリー・オルセン「私はここに立ってアイロンを掛け」

I Stand Here Ironing(1958/1961)

五人の子を育てる主婦がアイロン掛けをしながら子供について――

特に19歳の長女エミリの来し方について振り返る。

不甲斐ない最初の夫のせいで生活が苦しかったこと、

大恐慌や戦争の影響で精神的に辛かったこと、

幼少期のエミリに充分な目配りができなかったことなどを回想する。

結果、エミリは屈折した少女に育ってしまったが、特別な才能に目覚め、

これからは自身の手で道を切り開いて人生を謳歌するに違いないと確信する母。

  ですけども。

  エミリがどんな反応を示すにしても、

  母は一度彼女と正面から向き合って謝罪した方がいいと思う。

  何となく、エミリは諸々の事柄についてずっと憤懣やる方なしと思いながらも

  母の言葉を軽く受け流しそうな気はするが。

 

エリザベス・スペンサー「暮れがた」

First Dark(1959/1968)

戦争が終わって、

トム・ビーヴァーズは職場のある町から週末毎に地元ミシシッピ州のリッチトンに

車で帰ってくるようになった。

年老いて身体が不自由な育ての親、リタ叔母の様子を見るためだった。

トムは前日の体験から昔の幽霊譚を思い出し、

ドラッグストアの店員トッツィ・プティートに話しかけた。

トッツィは「もちろん覚えている」と言い、

「背の高い、山高帽を被った男が草むらにいて、

 道路工事のために停まっているブルドーザーを移動させて馬車を通らせてくれと

 訴える」のだと続けた。

「病気の女の子を医者に診せなければならないから」と山高帽の男は言うのだったが

道を空けて待ち構えても馬車は来ず、その男の姿もいつの間にか消えてしまうのだ

……と。

話の後、トムはフランシス・ハーヴェイと久々に再会した。

彼女は地域の名家の娘で、母のための薬を買いに訪れたのだった。

トムとトッツィが幽霊の話をしていたと知ったフランシスは、

「私もジャクソンから戻ってくるとき、運転中に〈彼〉を見た」という。

トムとフランシスは問題の地点で再び幽霊を目撃すべく、

翌週の土曜の黄昏時に揃って車で出かけ、旧交を温めた。

幼い頃のトムとフランシスの間には貧富の格差があり、

古い価値観に囚われたままの母、ミセス・ハーヴェイは

今となっても上流階級の婦人としてのプライドを保っていて、

二人の交際に難色を示す風だったが……。

  開発のために昔の面影を失いつつある町と、

  意気軒高なサザン・レディであるミセス・ハーヴェイの肉体的な衰えが響き合い、 

  それらによって自由を手に入れることになる若いカップルの船出が描かれる。

  だが、住む人がいなくなっても屋敷は風格を保ち、

  意志を持った存在であるかのように堂々と佇み続ける――といったストーリーに、

  人種や階級を口実にした差別の歴史が織り込まれている。

  短いが奥行きのある味わい深い佳品。

 

ボビー・アン・メイスン「シャイロー」

Shiloh(1979/1982)

身体を鍛えたり楽器を演奏したり文章講座に通ったりする妻ノーマ・ジーン。

夫リロイ・モフィットは仕事中の事故で脚を負傷し、休業中。

わかり合えているようで何かが噛み合わなくなっている二人の間を掻き回すように、

時折訪れるノーマの母メイベル・ビーズリーは、

二人で“二度目の新婚旅行”をするのがいいと促し、行き先に南北戦争初期の激戦地、

テネシー州シャイローを勧める。

夫婦は資料館などを覗いてみたのだが……。

  子離れできずに干渉する母、鬱陶しいと思いながらも突き放せない娘、

  事態を打開する妙案も浮かばず、気が滅入るとマリファナに逃避する夫。

 

ドロシー・アリスン「ママ」

Mama(1988)

語り手あたしが語る、あたしママの半生。

継父(ママの再婚相手)に暴力を振るわれ、

ママを恨めしく思いつつ強い愛情を感じているためアンビヴァレンスに苦しんできた

あたしと、癌との長い付き合いを余儀なくされたママ

  娘に辛く当たる継父としての夫を忌々しく思いながらも別れられずに

  長い年月を経てしまったママの姿には、

  経済力に乏しく男性に頼って生きるしかない女性のイメージが凝結している。

  ちなみに、あたしは継父への憎しみと反感のせいか否か、

  交際相手はすべて同性というレズビアンなのだった。

 

リー・スミス「ダーシー夫人と青い眼の見知らぬ男」

Mrs. Darcy and Blue-Eyed Stranger(1978/1981)

年老いた未亡人ロリー・ダーシーは娘たちやその夫、孫らと共に海辺の別荘へ。

彼女は青い眼をした見知らぬ男の幻影を見たため、

娘たちから認知症になったのではと疑われる。

しかし――。

「お父さんが聞いたら、死んじゃうわ」

「もう死んでるでしょ」(p.276)

  すいません、この娘たちの会話には噴き出してしまいました。

  老境に入り、〈未亡人〉〈ダーシー夫人〉〈お母さん〉〈おばあちゃん〉等々の

  役割から自らを解放しつつある「ロリー」という名の一人の女性の話。

  幻視は彼女にとって困りごとではなく、

  実は自分だけの晴れやかな秘密の象徴なのだった。

 

身構えていたほどドロドロした話やキット・リード「お待ち(The Wait)」のように

おぞましい話は入っていなかった。

 

booklog.jp

 

あまりギトギトだったら嫌だなぁと思う反面、

そういうノリを期待してもいる自分がいたわけなんですが、

なかなか子離れできない母の懊悩が中心といったところであり、

また、そこから脱出しようとする娘がアクションを起こす作品もあり――で、

強烈な毒親譚ではありませんでした。

最後に置かれたリー・スミス「ダーシー夫人と青い眼の見知らぬ男」は

配置が逆で、老母を心配し過ぎる娘たちと案外あっけらかんとした母、

といった話で、ユーモラスで楽しかったし。

時代背景の問題も大きそうですが、国民性の違いもありましょうねぇ。

いや、私が山岸凉子作品に毒されているだけか(笑)。

コレとか。