ドイツの小説家・劇作家ハインリヒ・フォン・クライスト(1777-1811)の
掌短編小説6編+エッセイ2編を収録した作品集『チリの地震』を読了。
■ チリの地震(Das Erdbeben in Chili,1807)
1647年、チリの首都サンティアゴ。
ジェローニモ・ルグェーラ青年は家庭教師を務めていた貴族の娘ジョセフェと
恋仲になったことが露見し、クビに。
ジョセフェは修道院へ送られたが、ジェローニモは彼女との逢引に成功し、
結果、修道女の妊娠が発覚するというスキャンダルに。
神への冒瀆とて各々投獄されたが、
ジェローニモが絶望して自殺を図ろうとした瞬間、大地震が発生した――。
*
災害文学の古典であり、非常時における共助と信仰の問題が俎上に。
体面や家名を重んじ、自由を抑圧するのが普通だった
古い時代の常識に異を唱える若者の悲劇が、
発表から長い時間を経て、
時代が下るにつれて高く評価されるようになっていったことが興味深い。
ところで、
教会に集まった被災者の中に神を冒瀆した男女がいると声を上げたのが
靴職人ペドリーヨ親方である点に注意せよと、
猪股正廣は指摘(早稲田大学リポジトリ:クライスト『チリの地震』群像)。
親方は淑女らに靴を作って履かせる度に跪く立場だったのに、
そんな相手が今、共同体の〈敵〉と見なされているわけで、
また、原文によればそうした状況でもジョゼフェが身分の違いにこだわって
親方に目下の者として呼びかけている点が彼の逆鱗に触れたのでは……と。
ともあれ、これからどうなる――と、
手に汗を握ったところでアッサリ終わる短編なのだが、
自然災害によって人生を大きく変えられてしまうという話は他人事ではない。
……と、一息ついて思い出したのが、
コンラッドの短編「ガスパール・ルイス」(Gaspar Ruiz,1906)。
19世紀初頭、スペインからの独立を目指す革命戦争下のチリにおいて、
兵士ガスパールと没落した富豪の娘エルミニアの間には
大地震がきっかけで信頼が芽生え、二人は結ばれるのだった。
主人公らの子供を他人が預かって育てる結末も共通する。
本歌取りだったのかなぁ……?
■ 聖ドミンゴ島の婚約(Die Verlobung in St. Domingo,1811)
19世紀初頭、ハイチでの黒人による暴動と白人虐殺の最中に出会った
可憐な混血の少女トーニと
スイス人でフランス軍将校の青年グスタフ・フォン・リートの恋。
タイトルは微笑ましげだが、残酷で凄惨な物語。
後年、合意の上で恋人を射殺して、すぐさま後を追ったという
作者クライスト自身の姿が二重写しになる。
■ ロカルノの女乞食(Das Bettelweib von Locarno,1810)
スイス南部ロカルノにて、
さる侯爵の古城に現れた、年老いて松葉杖を突いた病身の女。
侯爵夫人は彼女を憐れに思い、一室を宛がったが、
侯爵はそれをよしとせず、追い立てた。
彼女は命じられたとおり暖炉の後ろに移動したものの息絶えてしまい……。
*
短くて味わい深い恐怖譚。
侯爵の愛犬が見えない存在を感じ取って吠えると、それに合わせたように
松葉杖を床に突く風な音が響いた――という条が白眉。
■ 拾い子(Der Findling,1811)
ローマの豪商アントーニオ・ピアキは息子を伴なってラグーザへ。
そこで疫禍に見舞われ愛息を失ったが、
偶然出会った孤児ニコロを代わりに家へ連れ帰って育てることにした。
アントーニオの若い後妻エルヴィーレはニコロを歓迎し、
家族は幸福に暮らしていくと思われたが……。
■ 聖ツェツィーリエ或いは音楽の魔力~ある聖者伝説
(Die heilige Cäcilie oder die Gewalt der Musik,1810)
16世紀オランダ(ネーデルラント)に偶像破壊騒動が巻き起こっていた頃、
ドイツ・アーヘンの学生四兄弟が感化され、
聖ツェツィーリエ修道院を襲撃しようと目論んだが――。
■ 決闘(Der Zweikampf,1811)
14世紀末、ヴィルヘルム・フォン・ブライザハ大公が早暁、
矢で射られて暗殺された。
華奢で優雅な装飾が施された、その矢の持ち主は誰なのか。
容疑者がアリバイを主張するに当たって引き合いに出した女性は
身に覚えがないと言い、潔白を証明する流れに乗って、
彼女の名誉を賭して二人の男が決闘する羽目に……。
二転三転、激しいセリフの応酬が舞台劇の趣きを醸すところは
戯曲をも物した作者の面目躍如か。
■ 話をしながらだんだんに考えを仕上げてゆくこと
(Über die allmähliche Verfertigung der Gedanken beim Reden,1878)
未完のエッセイ。
他者とのコミュニケーションを介して連想的に思考を取りまとめていくことの
面白さと大切さについて。
■ マリオネット芝居について
(Über das Marionettentheaterr,1810)
1801年、著者は舞踏家の男性と偶然出会い、
その人が参加している人形芝居について話を聞いた。
マリオネットに命を吹き込む使い手の技術について
話をしながらだんだんに考えを仕上げていったこと。
文筆で身を立てるべく奮闘しながら挫折を味わいもし、
最期は交際していた女性と心中したという、
短くも過激な生涯を送った人物による、
ヨーロッパと南米を舞台にした風変わりな味付けの人間ドラマが並ぶ。
内容もさることながら、
発表時は宗教界の力が強かったため、当時の社会通念に照らして、
けしからん内容だと一蹴された小説が、時代が下るにつれ、
価値観の変化に伴って評価が高まっていったという事実が胸を打つ。
また、ジュリアン・グラックが戯曲『ペンテジレーア』仏訳を手掛けていたと
訳者解説にあり、知っている名前が出て来て何となく嬉しいというか、
ニヤニヤしてしまった。