深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『殺人者たちの「罪」と「罰」~イギリスにおける人殺しと裁判の歴史』

英国の事務弁護士ケイト・モーガン初の著書、草思社

『殺人者たちの「罪」と「罰」~イギリスにおける人殺しと裁判の歴史』読了。

原題はシンプルに MURDER:THE BIOGRAPHY

かの地における古来から現代までの正しい〈裁き〉を巡る考察。

 

 

英国の法律では人間を殺害する行為全般を「殺人(homicide)」と呼び、計画的犯意のある殺人を「謀殺(murder)」、計画的犯意のない殺人を「故殺(manslaughter)」というカテゴリーに分ける(日本でも旧刑法ではこのふたつに分類されていた)。これに加え、下位分類として交通事故による死や法人による殺人があり、いずれの事例にも容赦なく切り込んでいく[後略](p.395 訳者あとがきより)

 

 

イントロダクション――汝、殺すなかれ

「緋色の海が広がりだす」

 

 犯罪の話題と切り離すことが出来ない刑罰の問題。

 英国における刑法の変遷について。

 謀殺(murder)と故殺(manslaughter)の違い。

 前者は計画的、後者は一時的な激情から強行に及んだケースを指し、

 処罰に当たっては区別が必要であり、謀殺は犯罪行為(actus reus)=禁止行為と

 犯罪意図(mens rea)で構成されること。

 

第一章――決闘場

「……太陽が昇ってから星が現れるまで……」

 

 18世紀英国の裁判において謀殺と故殺の罪を区別する初期の試みがなされた。

 正当防衛及び武力で自らの名誉を守ろうとする決闘について。

 18~19世紀の英国で、裁判に殺人に至る理由が勘案されるようになり、

 被害者の振る舞い(挑発行為など)より加害者の行動に焦点が移されたこと。

 

第二章――悪の狂気

「青い悪魔に悩まされていると彼は語った」

殺人の物語はどれも本質的には怪談である。(p.107)

 

 英国では18~19世紀にベスレム王立病院や、それに類する施設が、

 異常な状況で他者の命を奪った殺人者の受け入れ先になった。

 心神喪失の申し立てをした者、

 国王ジョージ三世を暗殺しようとして未遂に終わった者――。

 スコットランドの木材旋盤工だったダニエル・マクノートンは1843年1月、

 ロバート・ピール首相本人と誤認して私設秘書エドワード・ドラモンドを銃撃。

 逮捕、起訴されたマクノートンは公判で心神喪失を訴え、

 医師の診察を経てベスレム王立病院に無期限で収容された。

 この無罪判決は社会を震撼させた。

 貴族院心神喪失に関するルールを定め、

心神喪失を根拠に抗弁を成立させるには、その行為を犯している時点で、被告人が精神の病のために理性を欠いた状態にあり、自身の行為の本質と特性を知らなかったこと、あるいは知っていたとしても、悪い行ないをしているとの自覚はなかったことが明確に証明されなければならない

 という《マクノートン準則》が適用されることとなった。

 

第三章――自治領の外へ

「じっとすること描かれた船の描かれた海を往くがごとく」

 

 1884年9月に発覚した、遭難した帆船ミニョネット号の乗組員が

 仲間の一人を殺害して食糧とし、生還した事件。

 当時は海での非常時にカニバリズムが発生するのは暗黙の慣習と受け止められ、

 被害者遺族までもが被告の減刑を嘆願したほどだったが、

 洋上で亡くなった人を止むを得ず食べることと、

 食べるためにまだ生きている人を殺すことを同じ扱いにしていいものかどうか。

 一方、20世紀後半には医療の分野について裁判所が生と死の問題に答えるため、

 法・科学・倫理の“地雷原”の行進を余儀なくされ、

 生命の尊厳を中心に発展した法的構造との格闘が繰り広げられた。

 具体的には、生後一ヶ月の結合双生児の一人を救うために

 二人を切り離す手術を行って、もう一人を死に至らしめたケースなど。

 

 

第四章――まかせてください、医者ではないので

「一本の金の糸がいつも見られる……」

 

 両大戦間の十年余りのうちに、裁判所の広範な介入によって

 英国の殺人法を取り巻く状況が激変した。

 低所得者の出産にスラムの開業医が携わり、凄惨な結果を招いた事件において、

 医師の過失とその隠蔽工作に、どんな罪名が付されたか→

 新たな刑法カテゴリ《重過失故殺》の誕生。

 また、自動車事故の発生と急激な増加によって

 〈無謀運転または危険運転による致死〉というまったく新しい犯罪が創設され、

 1960年に新たな道路交通法として法制化された。

 殺人法を変革するのはセンセーショナルな出来事よりも

 凡庸な業務の担い手のミスであること。

 第二次世界大戦後の英国は〈国の集合的良心〉を苛む事件に揺さぶられ続け、

 長く議論を招いてきた謀殺法が総点検される運びとなった。

 

第五章――収穫逓減とキャピタル・ゲイン

「こんなことになるとは思ってもみなかった」

 

 1955年の復活祭の日の夜、タヴァーンの傍の舗道で交際相手を射殺し、

 後に絞首刑に処されたルース・エリス。

 彼女はデイヴィッド・ブレイクリーに危害を加えるつもりで武装していたが、

 発砲のきっかけは相手からの侮辱だったので、

 謀殺ではなかったと裁判で主張したが、認められなかった。

 被害者から加害者への挑発行為をどう勘案するかという法律上の問題。

 あるいは遡ること三年前、1952年11月2日、二人組の若者が強盗未遂で逃げた際、

 デレク・ベントリーが相棒クリストファー・クレイグに

 「やってやれ(Let him have it)」と叫んで警官への銃撃を促した結果、

 シドニー・マイルズ巡査が即死した事件。

 ここで殺人を実行したのはクレイグだったが、

 唆したベントリーの罪名と処罰はどうあるべきだったか。

 これらを受けて1957年に〈殺人法〉が施行され、謀殺法の歴史上、

 最も重要な改正がなされた。

 明らかな殺意があり、謀殺罪の成立が避けられないケースでも

 心神耗弱が認定されれば謀殺罪が故殺罪に格下げされること、など。

 また、1969年には英国で死刑廃止が確定し、裁判所が頭を悩ますのは

 謀殺と故殺のボーダーラインと、

 真に謀殺犯と見なされるべきはどの被告なのかの二点に絞られることとなった。

 

第六章――HIRAETH(ヒーライス)

「……勢いよくジェット機のような轟音をたてて……」

 

 章題はウェールズ語で、英語にも直接翻訳可能な語がないという、

 今は失われたものや人に対する悲しみを伴なう郷愁・哀惜の念を表すとされる言葉。

 

en.wikipedia.org

 

 俎上に載るのは1966年、南ウェールズ

 アベルヴァン村(本書での日本語表記はアバヴァン)で起きた、

 炭坑近くの盛り土が長雨の影響で崩落し、麓の小学校を呑み込んだ事件。

 

ja.wikipedia.org

 

 これについてはスー・ブラック『死体解剖有資格者』第11章「惨事の衝撃」で

 初めて知ってショックを受けた。

 

 

 災害によって一般市民に危険が及んだ場合、

 安全を管理する立場の者・団体に適切に有罪を言い渡し、処罰するため、

 法律の見直しが検討されることに。

 1984年にはマーサーヴェール炭鉱で労働者たちのストライキが起き、

 支持者と不支持者が対立する中、

 走行中のタクシーに橋の上からコンクリートブロックが落とされる事件が発生。

 スト中の労働者二名が不支持者デイヴィッド・ウィリアムズを襲撃したのだったが、

 運転していたデイヴィッド・ウィルキーが亡くなり、

 後部座席にいたウィリアムズは無傷で、

 加害者二名にはウィリアムズに直接危害を加える意図がなかったため、

 裁判で謀殺か故殺かが争われた。

 あるいは〈ヨークシャーの切り裂き魔〉ピーター・サトクリフの責任能力の問題→

 この裁判の後、イングランドの殺人法が見直されることとなった。

 

ja.wikipedia.org

 

第七章――鏡に口紅

「法は曲げられぬ」

 

 1978年9月、13歳の新聞配達員カール・ブリッジウォーターが

 ウェスト・ミッドランズ州スタワーブリッジの空き家となった農家、

 通称《イチイ農家》で銃殺された。

 翌月、強盗とブリッジウォーター殺害の容疑で逮捕された四人組の男は

 終身刑に服すこととなったが、一貫して冤罪を主張し続けた。

 謀殺と見なされた際、機械的に最高刑を適用することの問題点が

 クローズアップされ、

 殺人法が法的判断のみならず政治的判断によって形作られる運びとなった。

 あるいは、1989年5月に起きた、継続的な暴力に苦しめられた

 キランジット・アルワリアが夫を殺害した事件について、

 量刑には被害者による“挑発の蓄積”と加害者の精神状態が考慮されるべきだと

 考えられるようになったこと。

 カール・ブリッジウォーター事件で有罪となった男たちが釈放された後、

 刑事事件再審委員会が事務所を設立し、

 誤審が疑われる事件を捜査する独立機関が設けられた。

 

第八章――法人

「空気はたっぷりあります」

 

 石油・天然ガスプラットフォームの爆発、地下鉄駅での火災、フェリー転覆、

 サッカースタジアム立見席定員オーバーによる圧死――等々、

 故人を死に至らしめたのが特定の人物ではない死亡事故について、

 英国で法人が裁きの対象となるまでの道のり→法人故殺法の成立は2007年(!)。

 

第九章――謀殺:手引き

「社会の進展に伴い……」

 

 英国の法曹界において謀殺と認識される事象と現実とのズレ,

 限定責任能力と被害者による加害者への挑発行為の新しい定義,法人故殺罪の適用,

 あるいは母親による嬰児殺しを取り巻く法律や

 危険な自転車運転致死罪導入の是非について。

 

――といった内容。

装丁や帯の煽り文句から、もっとセンセーショナルかつスキャンダラスな事件を

取り上げているのかと思いきや、グッと真面目な刑法と裁判の話でした。

日本もそうですが、事件が起き、それについて考えを巡らせることで

後から法律が作られる、言い換えれば、

法が現実社会の状況に追いついていないことが多々あるのだな、と。

ともかくも、英国では「謀殺(murder)」と「故殺(manslaughter)」の線引きが

重要視されるのだと理解しました。

日本も同様ですが。

個人的には後者であっても行為者に重大な落ち度があった場合、

あるいは特に若年者(未成年者)に危害を加えてしまった場合は

量刑を重くしてもらえまいか……などと考える次第。