「集中ケアユニット」に衝撃を受けて、
長年何となく難解そうだからと手を出しかねていた
J.G.バラードの短編全集を一括購入。
第1巻は1956~1961年の間に発表された15編。
SFあり、サイコサスペンス(?)あり、
シリーズ《ヴァーミリオン・サンズ》ものもあり。
以下、全作品について、つらつらと(極力ネタバレを避けます)。
プリマ・ベラドンナ(Prima Belladonna,1956)
砂漠のリゾート《ヴァーミリオン・サンズ》で
〈歌う草花店(コーロ・フローラ)〉を営むスティーヴ・パーカー。
ある日、向かいのマンションに現れた美女は、
金色に輝くボディと昆虫に似た瞳を持つ歌手ジェイン・シラデリスだったが、
コーロ・フローラの高価な歌う花とは相性が悪く……。
エスケープメント(Escapement,1956)
タイトルは時計の脱進機、あるいはタイプライターの文字送り装置を指す。
何故か時間の罠に捕まったバートレー夫妻。
テレビ番組の内容が一向に先へ進まないかと思えば、
クロスワードパズルの問題がいつの間にか解けていたり……。
集中都市(The Concentration City,1957)
飛行具を作ろうとする学生フランツは、テストのための広い空間を必要とし、
巨大建築物が林立する果てしない都市の果てにあるはずの
フリースペースを探し出すべく列車に乗ったが……。
真実を見出すために敢えて危険を冒す者だけがそこに辿り着ける――という、
コグスウェル「壁の中」(The Wall Aroud the World,1962)を
連想しつつ読み進めたが、そんなハッピーエンドではなかった。
ここにも「エスケープメント」同様、時間の罠が。
ヴィーナスはほほえむ(Venus Smiles,1957)
《ヴァーミリオン・サンズ》に現れた美しい女性の彫刻家
ロレイン・ドレクセルが作った《音響彫刻》は騒音を撒き散らし、
迷惑がられ、撤去されたが……。
マンホール69(Manhole69,1957)
外科手術によって眠らない/眠れない人間になった三人の男性の
意識と行動の変容が淡々と描かれるマッドサイエンティストもの。
タイトルは地下深くに設置された排水機構に用いられる
自動調節式マンホールを指しているとか。
トラック12(Track12,1958)
タイトルのトラックはレコードやCDに収録された音のこと。
妻を寝取られた教授が相手の男に常人には思いつかない方法で復讐する。
曰く「ファンタスティックだろう? そう思わないか?」
待ち受ける場所(The Waiting Grounds,1959)
地球から遠く離れた小惑星ムーラクの電波天文台へやって来たクウェインは
15年間務めたタリスと交替することに。
謎めいたタリスの口振りや、消息を絶ったという
ケンブリッジ大学の地質学者二名のことが気になるクウェインは、
半装軌車(ハーフトラック)を駆って火山の調査に乗り出した。
そこで彼が見たものは……。
小惑星の盆地の中央に巨大な記念碑があり、
刻まれた文字列を読み解いて宇宙の秘密に触れるという、
コリン・ウィルソン『賢者の石』(The Philosopher's Stone,1969)を
連想させる物語だが、こちらの方が10年早かった。
『賢者の石』に似た印象を受けるということは、
つまり(個人的な感懐だが)ラヴクラフト風味でもあるわけだ。
最後の秒読み(Now:Zero,1959)
保険会社に勤める語り手は目の上の瘤のような上司を忌み嫌い、
嫌がらせのついでに“未来日記”の中で相手をひどい目に遭わせてやった。
すると……。
デスノートの先取り!
音響清掃(The Sound-Sweep,1960)
落ち目になった女性歌手マダム・ジョコンダは
コカインに溺れつつも再起を図ろうとしていた。
そんな彼女を崇拝し支えようとする青年マンゴンの職業は、
物音、人の声、その他もろもろの残響をきれいに拭う音響清掃員。
二人はカムバック作戦を目論んだが……。
気分が盛り上がるにつれて、
乳児期の母親の虐待のために喋れなくなっていたマンゴンが声を取り戻し、
多弁になり、しかし、ジョコンダ復帰計画が進行するにしたがって
吃音が生じ、再び声を失うところが切ない。
恐怖地帯(Zone of Terror,1960)
働き過ぎて神経衰弱に陥ったラーセンは心理学者ベイリスを頼ったが、
遂に自らの分身を目撃。
ベイリスもラーセンの二重・三重身を目撃するので、
本人の錯覚だけとは言えず……。
時間都市(Chronopolis,1960)
時計の利用が廃止され、時刻を知ることが犯罪となった未来の管理社会で、
時計の魅力に取り憑かれたコンラッド・ニューマンは、
それを所持した罪で判決を受けた。
監房の中で理性を保つために日時計を利用して時刻を把握するなど、
事前の準備を怠らなかったが……。
時の声(The Voices of Time,1960)
様々な患者の治療、あるいは医師の一方的な思惑による人体実験、
そして、動物を利用した奇怪な研究も行われている場所で、
麻酔性昏睡患者はどんどん睡眠時間が長くなり、
亀は鉛の甲羅を背負うに至るといった具合に、
進化とも退化ともつかない変化が進行する中、
パワーズは自殺した親友ホイットビーが書いたと思しい
数字の羅列に目を留める。
彼は施設内の別の場でも同じ数列を目撃するのだが、
最後の桁が1マイナスされていて、
それが何らかのカウントダウンであることを察する。
終わりを告げる時の声なのだ……と。
全人類規模の破滅への予兆が淡々と、ひんやりした調子で語られる、
天変地異もモンスターも出現しない恐怖の物語。
患者の一人であるコルドレンの別荘の部屋の壁いっぱいに
20フィートの文字で描かれた YOU にゾッとした。
ラヴクラフトとは何の繋がりもないが、
この作品や「待ち受ける場所」を読んで頭に浮かんだのは
コズミックホラー(cosmic horror=宇宙的恐怖)という言葉。
しかし、さほど大袈裟に考えなくても、
大島弓子「ジィジィ」[文庫『ロスト ハウス』収録]における
霊能力者の大伯母(ヒロインの父の伯母)の
的中率20%とされる予言の一つ「七日後にこの世が終わる」の
真相(ネタバレ回避のため黙秘)と同種の事象と捉えれば、
案外ストンと胸に落ちるのだった。
ただ、読んでいると自らの強迫観念――
時間に縛られること、終末に向かって前進することへの怖れ?――
に向き合う作者の態度が二重写しになって怖い。
さながら、机に節穴があって、
そこから蟻が一匹這い出すのを見て指で潰すと、ややあって、
また一匹現れたので潰し、一匹、また一匹……といった趣き。
ゴダードの最後の世界(The Last World of Mr Goddard,1960)
デパートのベテランスタッフ、
一階フロア主任のゴダード65歳は猫のシンバッドと暮らし、
趣味はジオラマ制作。
彼が作っていたのは自分の狭い生活圏のリアルな再現物で……。
スターズのスタジオ5号(Studio 5,The Stars,1973)
《ヴァーミリオン・サンズ》シリーズ第三弾。
これまた新参者の美女が波風を立てて消えるパターン。
登場するのは文芸誌編集長ポール・ランサムの隣人となった
詩人オーロラ・デイ。
生(なま)の詩は時代遅れで、
詩人は誰もがVT(verse transcriber:ヴァース・トランスクライバー)
と呼ばれる自動生成器にアイディアを放り込んで作出するのが
当たり前になっている状況を非難するオーロラの要求は……。
深淵(Deep End,1961)
移住先となる惑星に酸素を供給するため、海水を抽出し続けた結果、
地球の海は干上がり、気候や生態系が異常を来たして、
地上は塩の塊になってしまった。
残された僅かな住人も地球を見捨てて脱出する手筈を整えていたが、
ホリデイ青年は周囲の説得にもかかわらず、
積極的に逃げ出したいと感じないが故に留まるという
消極的選択を余儀なくされていた。
ある日、彼はとうに絶滅したと思われていたツノザメを発見し、
その姿を自分と重ね合わせたが……。
この先、2巻、3巻……と読み進めるのが楽しみなようで、
怖いような(笑)。