深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『捜査・浴槽で発見された手記』

スタニスワフ・レムの長編2編カップリング、

国書刊行会『捜査・浴槽で発見された手記』読了。

 

 

 

捜査(Śledztwo,1959)

冬のロンドンで霊安室の遺体が姿勢を変えたり、消失したりする怪事件が続発。

スコットランド・ヤードロンドン警視庁)では

シェパード主任警部を中心に捜査会議が開かれたが、

グレゴリー警部補・他、一同は状況の奇怪さに当惑する……。

 

第三章、

「誰かが眠らないのは、他の誰かが眠れるようにするためだよ」(p.62)

この箇所は旧訳(ハヤカワSF文庫,深見弾=訳)では、

「われわれ全員、寝てたほうがまし、というわけですか」

だった。

新訳の方が味がある――が、第四章、

そのとき、他人には絶対に公言しない、せいぜい曰く言いがたい後悔とともに思い出されるだけの、そんなささやかな事態のひとつが起こったのだった。(p.115)

は、旧訳では、

人には、他人には話さないが、あとになって思いだすたびにいうにいわれぬ心の痛みを覚える、取るにたりないできごとというものがあるものだ。

で、こちらに軍配。

 

 

旧訳を最初に読んだときは

犯罪捜査という舞台装置を借りた不可知論の世界だろうと思った。

再読したときは、探偵役が「正解」に辿り着けず、

真実の究明を放棄してしまう風な態度を取るところは、

モーリス・ポンス『マドモワゼルB(べー)』や

ロブ・グリエ『消しゴム』に似た雰囲気だと感じた。

 

 

グレゴリー警部補は、

超現実的な解釈を採用すれば一応の辻褄は合うけれども、それを選択すると、

日常生活の中で普通に起こり得ることとそうではないことの境界線が

曖昧になってしまって恐ろしい……と、危惧して尻込みするかのようで、

思い切って一線を越えて超合理的解決を図ろうとしない彼は、

平凡で常識的で安全な生活を続けられる代わりに、

スリリングな体験も飛躍的な出世もせず、ウハウハなモテ期を迎えもせず、

自分より冴えないオッサンが

積極的に女の子に声をかける様子を見て「なんだかなぁ」と首を傾げては、

間借りする冷え冷えとした屋敷の一室に戻る暮らしを続けていくのだろう――と。

しかし、今般、この新訳を読んでの印象はどちらとも違って、

上司とはいえ度々グレゴリーの先回りをし、あまつさえ自宅に押し掛け、

しかも、捜査のヒントを与えるというよりは

部下を混乱させるような語りを披露するシェパード警部が異常だ、

と考えざるを得なかった。

適切な距離を取って上手く息子と接することの出来ない不器用な父親を思わせる

佇まい、とでも言おうか。

グレゴリーはシェパードを超えなければ、あるいは斃さなければ

決して真の正解に辿り着けないのかもしれない。

 

あれ……今フッと、グレゴリーをポーランドウクライナ(かつての東側)に、

シェパードをUSSRに置き換えて考えたら……なんて思いついてしまった。

 

ともあれ、沼野充義は解説の最後の一文で、

本作が著者の作品群の中核を成すSFの世界観とさぼど異質ではなく、

人間の理性では理解しがたい他者との遭遇を描いているという点では一貫している(p.432)

と述べているが、

グレゴリーにとっては風変りな家主より偏屈な学者より、

シェパード主任警部こそが最大の「理解しがたい他者」なのではなかろうか。

 

浴槽で発見された手記(Pamiętnik znaleziony w wannie,1961)

■まえがき

 3000年前、惑星探査隊が持ち帰ったウイルス=ハルツィウス因子が

 地球全体で〈パピル分解疫〉を引き起こし、すべての紙が分解され、

 記録・知識を喪失した文明は崩壊した。

 考古学者はロッキー山脈の地層の下の巨大建造物《第三ペンタゴン》の遺跡から、

 奇跡的に残っていた手記を発見した――。

 

ということで、大いに身構えて読み始めたのですが。

中身は多層の迷宮的な建造物を行き来する(カフカ的状況に置かれた)語り手〈私〉

――名前は遂に明かされない――の手記。

上級将校の老人カシェンブランデと面会した〈私〉は密命を受け、出発したのだが、

エレベーターに乗って下りて廊下を歩いてどこかの部屋に入って、

そこにいる人物と噛み合わない会話を交わした揚げ句、

また廊下に出てエレベーターに乗り……と、右往左往を余儀なくされる不条理劇。

 

私はカフカの『城』(すまぬ、実は未読ぢゃ💧)と

イスマイル・カダレ『夢宮殿』をボーッと思い起こしながら読み進めたのですが、

訳者あとがきと解説でビックリ、

そもそもタイトルがヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』

――原題は Manuscrit trouvé à Saragosseサラゴサで発見された手稿)――の

もじりだった!

 

 

fukagawa-natsumi.hatenablog.com

 

元ネタを先に読んだ自分をちょっとだけ褒めてあげたい(笑)。

サラゴサにおける語りの階層の上下動に、

こちらの名もなき記述者〈私〉がエレベーターで上がったり下がったりすることが

対応しているんですね。

 

〈私〉の心が僅かに安らぐのは浴室に身を潜めるときだけ。

身体をきれいにすることも出来るし、眠れるし、縦移動しなくていいし。

 

もちろん――夢の所有者は、夢の中で動きまわっている人物や当座しのぎにでっちあげられたエキストラよりも、夢に対して比較にならないほど絶大な権力を持っている……。(p.405)

 

なんだかんだで、迷宮の出口は《死》の向こうにしかないという結論が恐ろしい。

そして、〈私〉は他の人物に先を越されてしまったのを

悔しがっている風に受け取れるのだが、いずれにしても、

そこから既に3000年以上――と、冒頭に戻ってみると、どうにも空しい。

それにしても、

この浴室がハルツィウス因子に浸蝕されなかった要因は何だったのだろう?

 

ja.wikipedia.org