深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『奇想版 精神医学事典』

春日武彦先生の最新刊『恐怖の正体――トラウマ・恐怖症からホラーまで』

読了後、既刊『奇想版 精神医学事典』というとびきり面白そうな本に飛びついた。

 

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クセのある精神科医(失礼!)による、

五十音順でもアルファベット順でもなく、

心の赴くまま連想に連想を重ねて綴られた事典形式のエッセイ集。

先生の趣味・嗜好がモロ出し(笑)で、

しかも一読者である私の好みにマッチする話題が多くて楽しかった。

 

例えば――

 

[神]p.7~8

 神は思いがけないところへ、不意に姿を現す。

 タイヤの表面に刻まれた溝がアラビア文字による「アラー」に酷似していた、

 あるいはバスケットシューズのデザインプリントがまたしても(略)といった

 メーカーの受難。

 不謹慎なようだが、どことなくボルヘスの作品世界を思わせるエピソード。

 

第一次世界大戦p.41~42

 美容整形が大きく発展を遂げた背景には、第一次世界大戦の勃発があったという。〔略〕
 第一次世界大戦はまた、本格推理小説の発展にも大きく寄与したという説がある。この戦争がもたらしたものとは、未曽有の大量殺人といった異常事態であり、この事実こそが人々の精神を変容させた。大量殺人や連続殺人、無意味な殺人や興味本位の殺人といったものの非日常性が薄まり〔略〕ヒトはいくらでも冷酷に殺人を犯せることが証明されてしまったのである。そのような心の闇の自覚と連動して、推理小説の黄金時代が訪れることになったのであった。
 美容整形と推理小説、どちらも他人を欺くといったベクトルを備えたジャンルが第一次世界大戦を契機に飛躍的な進歩を遂げたというのは興味深い。〔後略〕

 

三島由紀夫p.64~65

 三島由紀夫は運動神経が鈍かった。それはある種の不器用さとか身体感覚の欠落をも含む鈍さであった。〔略〕
 ボディビルで肉体を作り替えても、運動神経の鈍さは克服出来ない。〔略〕にもかかわらず三島はそんな自分を認めようとせず、マッチョな美学へとのめり込んで滅びていった。
 異論を申せば、彼は美食へと走ればよかったのである。ひたすら美味いもの、珍奇なものを食べ漁り、ぶくぶくと肥満していけばよかったのである。化け物のように肥ってしまえば、もはや運動神経の有無など意味を持たない人生を送ることになるだろう。劣等感を葬り去れるのだ。三島は鍛え上げた筋肉などではなく、美食でもたらされた脂肪を身に纏うべきだったのである。〔後略〕

 

[記憶] p.204

〔前略〕 激しい苦痛を感じたとしても、それが記憶に残らないとしたら、果たしてそれは苦痛として成立し得るものなのだろうか。忌まわしい思い出、辛く不快な体験として個人の記憶に棲みつかなければ、苦痛というものは存在しないのではないか。
 言い換えれば、人間は記憶によって延々と苦しみを背負い込む。記憶こそが人間の苦しみを司っていると考えるのは間違っているだろうか。

 

[アンダソン神話] p.281~283

〔前略〕 アンダソンの作品でもっとも有名なのは、「グロテスクなものについての書」という前書きを付された連作短編集『ワインズバーグ、オハイオ』(1919)であろう。〔略〕いわゆる南部ゴシックの源流に位置している。
 アンダソン神話と呼ばれるものがあり、高田賢一・森岡裕一編著による研究書『シャーウッド・アンダソンの文学』(ミネルヴァ書房、1999)所収の高田賢一「序にかえて――シャーウッド・アンダソンの人生」から引用してみる。

 

 1912年の11月末のある日、「長い間、川の中を歩いていたので、足が濡れて冷たくなり、重くなってしまった。これからは、陸地を歩いていこうと思う」と、謎めいた言葉を残してアンダソンは失踪する。小規模とはいえ塗料販売会社社長の地位を投げ捨てたばかりか、妻と三人の子どもたちのいる家庭も捨て、これからの貴重な人生を文学に捧げるべく、成功追求の世界に別れを告げたのである。この時、彼はすでに36歳になっており、ポケットにはわずか五、六ドルの金しか入っていなかったという。
 これが世に名高いアンダソン神話である。真相は会社の経営不振からくる心労のため、神経衰弱となっての発作的な行動だった。行方不明の四日後の12月1日、朦朧状態でクリーヴランド市内で発見され病院に収容される。後年、アンダソンはこの体験について、虚偽の生活を捨て、真実を追求するための脱出だったと好んで語ったため、「芸術という宗教」を奉じる1920年代、30年代の若き作家たちに多大の感銘を与えた。この多分に自己劇化された行動は、アンダソンの作品の主人公たちが繰り返す行為となる。

 

 おそらく彼は解離症状を呈したのだろう。〔略〕さもなければ解離性遁走(フーグとも言う)や解離性朦朧状態。いずれも、「わたしは誰? ここはどこ?」といった状態になってしまうので、責任もノルマも道徳もすべて自己破産状態となり、誰も追及するわけにはいかなくなってしまう。究極の居直りであり、〔略〕結果としてアピールしただけの甲斐はあったという結末を迎えることになる。
 実生活と文学との狭間で苦吟し、また36歳でまだ芽が出ないという焦りが解離症状へと結実したのだろう。この体験をむしろ自慢として語る態度に、アンダソンのグロテスクな自己愛を見ても良いのかもしれない。

 

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[ポルノグラフィー]p.343

 ポルノグラフィー(猥褻な興奮を引き起こすことのみを目的とした映像や文章。ポルノ)を見る(読む)者は、そこに表現された個別性ではなくパターンに反応する。自分がお気に入りの「卑猥なパターン」がしっかりと現出しているか否かだけが、価値を決めるポイントとなる。言い換えるならば、そのパターンは既にわたしたちの頭にインプットされているのである。たまには「そんなポーズもあったのか!」といった調子で目新しく感じることもあろうが、実は薄々そのようなものをも予感し期待していた筈である。そう、頭に棲み着いていた猥褻なイメージを、他人を介してあらためて「なぞり」、確認することで我々には強烈な満足感が生じる。
 本来、ポルノを楽しむのはきわめて孤独な営みである。秘密厳守が前提である。にもかかわらず、脳内のイメージをわざわざ他人が再現してくれることで興奮するのである。いやはや人間は面倒な生き物だと思わずにはいられない。誰もが、自分の頭の中にポルノグラフィーを寂しく携えて日々を送っているのだ。

 

フェティシズムp.536~538

 拝物愛、物件恋愛、淫物症、節片淫乱症などと呼ばれたこともある。物神(魔術的な力を備え、非合理的崇拝の対象たる呪物)fetischという言葉からの派生語である。
 フェティシズムはほぼ男性に限定され、女性が身に着ける下着、ストッキング、靴、帽子、衣服などに激しい性的刺激を覚えオーガズムを感じる状態を指す。そしてしばしばそれら対象物はコレクションされる(ときには下着泥棒などの形で)。蒐集行為そのものが支配欲の充足や性的興奮につながるのであろう。
 性的倒錯の一種とされ、しかし正常な性行為においてもフェティシズム的な嗜好は少なからず見出される。つまりフェティシズムにおいて正常と異常の境目ははっきりしない。おそらく「生身の」女性と向き合うよりもモノだけのほうが快楽を得やすくなった段階で異常とされるのだろう。〔後略〕

 

[健脳丸]p.542~543

 明治29年、丹平製薬によって発売された売薬。効能は「脳充血、逆上、神経痛、眩暈、脳膜炎、頭痛、顔面神経痛、ヒステリー、耳鳴り、癲癇、不眠、中風卒中、ひきつけ、便秘、健忘、その他脳神経病一切」となっており、脳・精神・神経関連の症状が羅列されているが、唯一「便秘」という頭とは無関係な症状が含まれているのに注意されたい。健脳丸の成分は臭化カリウム、ゲンチアナ、大黄、アロエであり、それらの中で臭化カリウムのみが向精神作用を示し(抗不安作用、抗痙攣作用)、他は便秘や健胃薬として用いられるものである。〔略〕
 なお健脳丸に似た売薬としては快脳丸が有名で、それは広告に「頭脳の不完全なる者は馬鹿であります」という有名な鬼畜コピーがあるからに他ならない。

 

式場隆三郎p.567~569

〔前略〕 1898年(明治31年。画家のルネ・マグリットや作家の井伏鱒二が同年生まれ)・新潟県出身、新潟医専卒。〔略〕38歳で千葉県市川市国府台に国府台病院(現・式場病院)を建てて院長となった。同時に建設された自宅には、柳宗悦濱田庄司河井寛次郎会津八一などが関わっている。同病院には広大な薔薇園があり、精神科病院と薔薇園の対比に感銘した中井英夫はそれをモデルに小説『とらんぷ譚』で流薔園なる精神科病院を登場させた。〔後略〕

 

 これは知らなかった……いや、どこかで読んだことがあったかもしれないが、

 失念していたのだろう。

 

 

 そして、式場隆三郎と言えば二笑亭(p.569~570に項目あり)。

 

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といった具合に、遊園地の鏡の迷路を、おっかなびっくり

ドキドキワクワクしながら手探りで進む感覚を味わったのだった。

 

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