特に愛好者というわけでもないのですが、何となくプチ三島祭り状態。
1960年代の戯曲2作を収録した
『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』新装版を購入、読了。
ブクログに書いたらクドイかも……と思われる長めの投稿です。
前者はフランス革命前後のフランスを舞台に、
マルキ・ド・サドを巡る――本人不在の――女たちの感情のぶつけ合い、
後者は二つの世界大戦間期、
彼を取り巻く男らの腹の探り合い。
片や花、片や鉄のイメージだが、さながら二幅対といった趣で好対照を成す。
薄い本だが熱量は凄まじい。
以下、概略を綴りますが大オチには(極力サラッとしか)触れません。
■サド侯爵夫人(1965年)
第一幕:1772年、秋。
モントルイユ夫人は長女ルネの夫である
ドナチアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド侯爵の悪行と、
その報いとしての刑罰のことで気を揉み、各所へ働きかけるため、
シミアーヌ男爵夫人とサン・フォン伯爵夫人に助力を求めたが、
逃亡中の婿は次女アンヌと行動を共にし、
しかもルネもそれを先刻承知していたと知って怒りに震える。
モントルイユ夫人から相談を受けるシミアーヌ男爵夫人と
サン・フォン伯爵夫人のキャラクターの対比が愉快。
悪徳の権化のような貴婦人、サン・フォン夫人の妖艶さ、
気風のよさがセリフだけで伝わってくるのが強烈。
このキャラクターはどことなく、
三島も激賞したバタイユ『聖なる神』の第二部「わが母」を思い起こさせる。
第二幕:1778年、晩夏。
サド侯爵が罰金の支払いと引き換えに釈放されるという判決書が届き、
安堵するルネだったが、サン・フォン伯爵夫人が訪ねてきて真相を暴露。
日付を見ると釈放は一月半前で、サド侯爵は既に別の牢獄に入っている由。
そもそも最初に侯爵が逮捕されたのも
母モントルイユ夫人の策動あってのことだった。
サン・フォン伯爵夫人と妹アンヌが出て行くと、
モントルイユ夫人とルネは互いの本音を吐露し合った。
言い争いの果てに、ルネは夫と自分は言わば一心同体なのだと告げる。
母親は娘について「何故あんな男を愛するのか、庇うのか理解できない」と
考えるが、夫婦の問題はそれこそ当人たちだけにしか理解不能なのだった。
第三幕:1790年、春。
サド侯爵が帰ってくると決まったにもかかわらず、
先に出家したシミアーヌ夫人の先導を受けて修道院に入る準備をするルネ。
何故かと母に問われた彼女は答えて曰く――
獄中で夫が書いた小説「ジュスティーヌ」を読み、
清廉であろうとすればするほど不幸に見舞われるヒロインと自分を重ね合わせ、
夫が自分を物語の中に封じ込めたように感じたから、
もう彼は自分とは違うステージに上がってしまったと解釈し、
決別を選んだのだ……。
夫の帰りを待ちながら思索に耽り、心の問題に決着をつけたルネの達観。
しかし、単純な見方をすれば、ルネの心情は、
手のかかる悪ガキにやきもきさせられることを
愚痴りながらも楽しんでいる母親に似たものであって、
その悪ガキも年を取っておとなしくなったとあっては、
もう構ってやる甲斐もないから別れを選んだ――
といったところではなかったか。
つまり、彼女は不出来な夫に悩まされる妻という役を
長年楽しんで演じていたのではなかろうか、ということ。
そこへもってきて革命である。
身の安全を確保するために修道院へ入るというのは
貴族の女性にとってベストな選択だったのでは。
全体を通して、読みものとしては短く、また、意外に淡々としていることに驚いた。
先に――遙か昔に(笑)――実見した舞台は長丁場で、
キャラクター同士が激しく感情をぶつけ合っていたと記憶しており、
印象がかなり違ったので。
日本人作家がフランス貴族の family affair について書いた戯曲を英国人が演出し、
日本人俳優が日本語のセリフで演じるという、ねじれた芝居だったが、
その空間で屈折した美学が大輪の花を咲かせた……とでも言いたくなる
興奮と緊張と陶酔に満ちた舞台だった。
あれからかなり長い時間が経ったけれども、
つくづく鑑賞しておいてよかったと思う。
未だに心の財産の一つとして輝き続けているのだから。
サン・フォン伯爵夫人を
坂東玉三郎がこれ以上はないというほど冷酷かつ妖美に演じていて素晴らしかった。
■わが友ヒットラー(1968年)
1934年6月、ベルリン首相官邸。
アドルフ・ヒトラーを巡る男たちの友情と陰謀と裏切りを描く。
ト書きは極端に少なく、
四人の登場人物――殊にエルンスト・レームとグレゴール・シュトラッサー――
の熱っぽいセリフが綾なす会話劇。
ふと、ナチスの幹部だったオットー・ディートリヒの
ナルシスティックな問わず語りを描出したボルヘス「ドイツ鎮魂歌」を連想。
第一幕
耳を傾ける来訪者、ナチス私兵・突撃隊幕僚長エルンスト・レームと
鉄鋼王グスタフ・クルップ。
ナチス左派グレゴール・シュトラッサーも二人の会話に加わる。
ヒットラーは理想の実現について語る。
第二幕
翌日、朝食を共にするヒットラーとレーム。
レームはヒットラーと別れた後、シュトラッサーに遭遇。
シュトラッサーはヒットラーとレームの友情を疑い、
自分たちが生き延びるためにヒットラーを失脚させねばならないと告げるが、
レームは聞き入れない。
一方、ヒットラーは
ゲーリング将軍とヒムラー親衛隊長に旅先からの指令に従えと告げる。
第三幕
第二幕の数日後、1934年6月30日。
二人の対話はシュトラッサーとレームの死、すなわち粛清について。
極右と極左の筆頭を始末し、政治は中道を行かねばならぬと嘯くヒットラー。
男の熱い友愛を信じたレーム、憐れ……。