深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『コンクリート・アイランド』

J.G.バラード《テクノロジー三部作》を、適当な順に全部読んだ。

 

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最後は『コンクリート・アイランド』。

これは絶版につき古書購入(少々高くついた……)。

 

原著は1973年。

上記2冊とは手触りの異なる奇妙な小説。

作者自身の交通事故の体験が反映されているという。

 

建築家ロバート・メイトランド(35歳)はロンドン中心部の

ウェストウェイ・インターチェンジ高速出口車線を運転していて

制限速度をオーバー。

愛車ジャガーの左前輪が破裂し、彼は車もろとも吹っ飛ばされ、

防護壁を突き抜けて築堤の裾に転落した。

そこは雑草まみれの、あたかも川の中州のような、

道路網の中の三角形の小島に似た場所だった。

ケガの痛みに苦悶しながら

脱出のために試行錯誤するロバートだったが――。

 

SFというよりは

異常事態の中での出会いと別れを描いた不条理幻想文学の趣き。

時代からして携帯電話がなかったのは致し方ないが、ロバートの車に

自動車電話(英国では1959年に手動交換式のサービスが開始された由)が

あれば、すぐに救援を求めることが出来、

大事に至らないはずだった……というテクノロジーの問題に即、

気が回ってしまって、素直に物語を愉しめなかった。

電話はあっても事故の衝撃で故障して使えなかったという

エクスキューズがあったなら、説得力が増したかも。

 

問題は、家族・仕事の関係者・愛人らが、こぞってロバートの不在を怪しみ、

心配して警察に捜索願を出せば、

短時日で解決したかもしれない事件であるにもかかわらず、

何故か誰も思い切ったアクションを起こした形跡がなく、

事態が放置されたこと。

彼自身も「自分がいなくても皆の日常が回っている証拠だ」と

諦めに似た感懐を抱く。

そこで連想したのが(こちらの方が後発だが)

一人の人間が不本意ながら世の中の動きから取り零され、

名前を失った誰でもない者に変容していく、ポール・オースター

初期作品『シティ・オブ・グラス[ガラスの街]』(1985年)。

社会から切り離されて

孤絶するかもしれない恐怖に囚われた経験のある読者だけが

真にこの作品の怖さを理解できるのかもしれない。

 

脱線するけれど、更に思い出すのは大島弓子「ロスト ハウス」。

実田エリは何事にも格別な関心を払わず淡々と過ごす女子大生。

彼女は幼少期に得た素晴らしくリラックスして寛げる極上の空間を失った後、

あんな場所と時間は二度と手に入らないのだから……と、

どんな人にも物にも執着しない生き方を選んだのだが、

そこに風穴を開ける青年が現れ――というストーリー。

で、肝心なのは、失われた部屋の記憶と、

訳あってそこを去った人物=

新聞記者の鹿森さん(男性。ファーストネーム不明)のその後。

彼の元同僚・横島さんの卓見が素晴らしい。

曰く、家を持たずに暮らす鹿森さんは「全世界を自分の部屋にしたのだ」――。

初めて読んだとき、ポール・オースター(初期)っぽい話だなぁと

思ったものでした。

 

さて。

話を本筋に戻しますと。

『コンクリート・アイランド』本文冒頭で、

「1973年4月22日の午後3時少し過ぎ」と、事件発生日時が明示されるのだが、

主人公が仕事を早く切り上げ、

学校が引けた一人息子を迎えに行くというのだけれども、

1973年4月22日は日曜日ではないか。

彼は第8章で「4月24日……土曜日だ!」と心の中で叫んでいるので、

22日は木曜だった計算。

作者の誤認か、いや、承知でわざとズラしたのではないかと勘繰りたくなる。

だとすれば、これは最初から「そんなことあるワケないやん」と

鼻歌でも歌いながら書かれたファンタジーだったのだろうか……。

 

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