ダークサイドミステリー『超能力の謎を解明せよ!〜千里眼事件の光と闇〜』
録画視聴。
催眠術によって透視能力に目覚めたという御船千鶴子。
当時、西欧列強に追いつけと
科学教育を普及させようとしていた明治政府であったが、
一方で、人々の間には目に見えない精神的世界への関心が高まってもいた。
福来の実験が行われたのと同じ1910(明治43)年だった点が興味深い。
福来が扱った異常心理学はカウンセリングを兼ねるような側面もあって、
被験者の都合を優先することが多かったため、
千鶴子の透視実験も彼女にとって行いやすい形が採用された。
福来は千鶴子に寄り添い過ぎていた感が否めず、
それは科学の手続きとして適正であったとは言い難い。
緊張の緩和を口実に不正を働いた千鶴子を、
何故か日本科学界の錚々たる面々が庇う事態に。
彼らは繊細な若い女性を観察対象とすることの難しさを感じていたものの、
実験を継続したいあまり、千鶴子を責めなかったばかりか、
彼女の得意なスタイルに透視の方式を変更までした。
結果、千鶴子は時代の寵児となり、全国の追随者を呼び起こした。
折しも各地域に地方新聞が誕生した頃であり、
それぞれの地元にスターを誕生させたいという報道側の思惑も相挨ったか。
一方、同年11月、東京帝大をライバル視する京都帝大が透視実験に参入し、
郁子が箱の中の紙片に書かれた文字の意味を探ろうとするのでなく、
画像として捉えているらしいことを察する。
しかし、郁子は繰り返される実験を煩わしく思い、
それ以上の協力を拒んだため、能力は未解明。
その後、福来は郁子に念写を試みさせ、成功。
大々的に報じられたが、東京帝大講師・藤教篤が翌1911年1月に内部告発。
郁子が行ったのは念写ではなく、型紙を使った手品だ……と。
結果、福来は孤立。
同月下旬、御船千鶴子が謎の自殺、続いて長尾郁子が病死。
福来は著書に「世の中には科学では説明できないものがある」と記し、
以後、オカルトに傾倒。
といった話で、格別目新しい情報はなく、
またしてもモヤモヤしたまま終わるところだったが、
千里眼事件はメディアによって消費されるコンテンツの走りだった
――との結論にポンと膝を打った。
大衆の好奇心と結託したマスメディアが個人のプライヴァシーを暴き、
物語として供給するという様態は百年以上前に確立されていたのか……と。
ああ、そんなことを言っていたら岡崎京子『ヘルタースケルター』を
また読み返したくなった。
みなさんはいつもとても飽きっぽい(p.139)
至言だな。