平凡社ライブラリー『医療短編小説集』読了。
文学及びその他エンターテインメントは、
どうして《医療》を取り込むことが多いのか、
それは現代社会の様々な現象が、
宗教や共同体に代わって医学の知によって再定義されたからではないか――
との前提に立って編纂された《医療行為》を巡るアンソロジー、全14編。
先に出た『病短編小説集』の姉妹編。
監訳者の解説によれば、
英語圏では20世紀後半から文学と医学の関係を分析する
文学と医学(Literature and Medicine)なる研究分野があるという。
また、医療従事者への、患者への共感などの質を高めるための感情教育に
文学の精読が有効とされている由。
何故なら、医療行為は他の客観的な自然科学と異なり、
人間を相手にした主観的な科学であり、
問診において患者が語った《自伝》に
医師が解釈を織り込んだテクストを提示することが治療の第一歩となるが故に
「医療は文学である」と言い得るからだ――とのこと。
収録作は以下のとおり。
「オールド・ドクター・リヴァーズ」("Old Doc Rivers" 1932)
貧しい人に慕われる優しく頼もしい医師でありながら、
プレッシャーに打ち勝つためか薬物に手を染め、
他人に迷惑をかけることもしばしばだった医師の様子が
光と影、双方に彩られ、様々に語られる。
「力ずく」("The Use of Force" 1938)
診察とはいえ、
相手が子供の場合は時として暴力が介在してしまう――という話。
■サミュエル・ベケット
「千にひとつの症例」("A Case in a Thousand" 1934)
内科医ナイと、受け持ちの患者である少年の母親ミセス・ブレイの間には
余人には計り知れない精神的な結びつきがあるらしい……。
「センパー・イデム」("Semper Idem" 1900)
非情な医師は抜群の手腕で瀕死の男を救ったが、彼を物のように扱った……。
■リチャード・セルツァー
「人でなし」("Brute" 1982)
深夜、警官に囲まれて連れられてきた大男に荒っぽい治療を施す医師。
「ある寓話」("A Parable" 2004)
瀕死の患者を看取る医師は聖職者の役割をも担っているかのよう。
■ジョージ・ギッシング
「貧者の看護婦」("The Beggar's Nurse" 1898)
これと言った経験のないまま看護師としての業務に就き、
患者に辛く当たる生活だったというアデリーン。
看護師が専門職化する以前の劣悪な状況を描いた作品。
「アルコール依存症の患者」("An Alcoholic Case" 1937)
アルコール依存の漫画家の世話をする看護師の葛藤。
「家族は風のなか」("Family in the Wind" 1932)
災害は不幸をもたらすが、同時に人の心の善なる部分を呼び覚ます。
■T・K・ブラウン三世
「一口の水」("A Drink of Water" 1956)
体格も稼ぎもよく、女にモテ、
性的関係も含めて様々な愉しみを味わっていたフレッド・マッキャンは、
出征中のアクシデントで重傷を負い、病院へ。
視力を失い身体も不自由になった彼を担当看護師のアリスが
献身的に世話してくれて、いつしか二人の間に特別な感情が芽生えたが……。
アリスの本心を知ったフレッドは絶望し、苦労して病室の外へ。
江戸川乱歩「芋虫」を想起させるストーリーだが、
須永中尉と違ってフレッドはアリスを許したわけではない。
作者についてはトマス・K・ブラウンという本名と、
『プレイボーイ』『エスクァイア』等に作品を発表していたことくらいしか
データが残っていない、とか。
ちなみに、ジェームズ・バーナード・ハリスによる
江戸川乱歩英訳作品集 "Japanese Tales of Mystery and Imagination" に
「芋虫」="The Caterpillar" が収録されているが、
刊行は "A Drink of Water" が
『エスクァイア』に掲載された同年(1956年)なので、
ストーリーの類似は偶然か。
「利己主義、あるいは胸中の蛇」("Egoism: or the Bosom-Serpent" 1843)
心気症が《蛇》という形を取って当人を苦しめる話。
■イーディス・ウォートン
「診断」("Diagnosis" 1930)
まだ癌が不治の病だった時代の物語。
裕福な独身男性ポール・ドランスは診断書を見て死期が近いと考え、
未亡人となった長年の女友達エレノアと結婚して、
死ぬまでを幸福に過ごそうとしたが……。
■E・B・ホワイト
「端から二番目の樹」("The Second Tree from the Corner" 1947)
作者自身の体験が元になっているらしい、ある不調を訴える人の話。
精神科医の問診を受け、気分を落ち着けて病院を後にしたものの……。
「ホイランドの医者たち」("The Doctors of Hoyland" 1894)
田舎町の開業医、患者となる住民を独占した気になっていた
ジェイムズ・リプリーの前にライバルが現れた。
ヴェリンダー・スミス医師は機智に富み、優しくチャーミングで、
しかも腕のいい女医だった。
まだ「女に医者が務まるはずがない」という思い込みが強かった時代に
颯爽と看板を掲げ、
あっという間に患者たちの心を掴んだヴェリンダーに嫉妬し、
自らの《常識》との齟齬に煩悶するジェイムズは……。
コナン・ドイルは優秀な女性医師を魅力的に描き、
彼女の能力に無根拠な疑義を呈す主人公の愚かさを炙り出した。
オチも痛快!
興味深い一冊だが、
『病短編小説集』に比べて一読しての衝撃は弱く、薄味な印象。
断然面白かったのは「一口の水」「ホイランドの医師たち」くらいかな。