フランスの小説家、劇作家で、ヌーヴォー・ロマンの代表格の一人だった
ナタリー・サロート(1900-1999)の長編小説『プラネタリウム』を
二週間かかってようやく読了。
ヌーヴォー・ロマン(アンチロマン)とは、
戦後フランスの文学界で一潮流を成した、実験的で前衛的な小説群で、
この作品は、心の中を絶え間なく移ろう思考や感覚を
注釈なしに記述する文学的手法である「意識の流れ」を突き詰めた、
登場人物の会話の背後にある事象を読者に推理させるようなスタイルで
叙述されている。
したがって、最初のうちは誰が何を言わんとしているのか
サッパリわからない難物なのだが、
徐々に「そこで起きていること」に察しがつくようになっていった。
《主な登場人物》
アラン・ギミエ:27歳。文学者を志す。
ジゼール:アランの妻。
ベルト:アランの伯母。家具・室内装飾などの造作や細部に異様にこだわる。
ピエール:ベルトの弟でアランの父。
ジェルメーヌ・ルメール:アランが敬慕する作家。
文学者を目指しながら立身が叶う見込みの薄い青年アラン・ギミエは、
愛する妻ジゼールと楽しく暮らしつつ、
偏執狂的な伯母ベルトに時折煩わされている。
ベルトの思い付きで、住まいを交換する話が持ち上がり、乗り気になるジゼール。
一方、アランは敬慕する女流作家ジェルメーヌ・ルメールのサロンに出入りし、
彼女への憧れを強めるが、取り巻き連中の軽薄さに閉口する。
先日観たカトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画『真実』で、
クールでドライな大人同士の付き合いを尊重する
成熟したフランスの文化人の姿を眺めた後なので
――もっとも、監督は日本人の是枝裕和氏なのだが――
1959年に発表されたという、この小説が、
親離れの出来ない子と子離れの出来ない親のグダグダした関係を描いているので
意外に思ったし、
私自身がベタベタした「家」「親族」の重力・粘着力から逃れたいタイプなので、
辟易した。
作者ナタリー・サロートがフランス生まれではなく、
元々ロシア系ユダヤ人だったことと関係があるのだろうか。
タイトルは作家であるジェルメーヌが新聞に掲載された自分についての記事を読み、
空虚さに絶望するところから来ていると思われる。
すべては死んだ星に過ぎず、自分はその上に一人でいて、
本当の人生はどこか別の場所にあるのだという思考を象徴する、
ネガティヴなイメージとしての「プラネタリウム」なのだった。
取り巻き連中の噂話として飛び交うのは、
彼女が素晴らしい女性だという情報ばかりで、
肝心な著作物への言及がないことが皮肉だが、
昨今、SNS上で、何を作っているのかサッパリわからなくても、
何となく器用に人気取りが出来る人が持て囃されがちなことと重なって映り、
ちょっぴり笑ってしまった。
ところで、何故この本を買ったかというと、去年、
書き下ろして刊行した私家版『サースティ』のせいなのだった。
途中でプラネタリウムが出てくるので、朧な記憶を反芻しつつ、
少しググってみたら、ナタリー・サロートの本に行き当たり、
何だかわからないが、これも縁だ!
と思って買ってしまったんだなぁ……。
久々にプチ苦行的な、
投げ出さずに読了した自分をちょっぴり褒めてあげたくなる一冊でした(苦笑)。