深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

映画鑑賞記『怪物』補遺。

映画『怪物』、鑑賞から十日近く経って少し付け足したくなったので。

 

fukagawa-natsumi.hatenablog.com

 

ネット上をザッと見回すと、

ああ、そういうことだったのか――と納得しつつ、どうにも割り切れないものが残る、

そんな感想を持つ人が多い印象。

それでいいんじゃないでしょうか。

今般、監督・脚本家さんたちは、唯一無二の正解が存在しないお話を構築して、

鑑賞者の中にいつまでも蟠りが残ることを狙っていたのじゃないかという気が。

それすれば、決して忘れられることのない作品になりますものね

……などと言いつつ、

シアターを退出して(自宅から一番近いシネコンへ車で出かけたので)

車中で夫とザッと答え合わせをしたら見解が一致したので、

その辺りを記録しておこうと思いまして。

最終パート~オチに言及する部分は文字色を白にしちゃいます。

鑑賞済で、なおかつ私個人の愚考に興味をお持ちになった方だけ、

文字列をドラッグしてお読みになってください。

但し、それは違うだろ

等々、ケンカを売られても買わないのでふっかけてこないでね(笑)。

 

さて。

主人公・早織から見た愛息・湊の奇妙な言動と、

湊がケガをした経緯を知るために学校に乗り込んでフガフガした教師陣と対峙する

彼女の苛立ちが、全体のおよそ三分の一。

続く第二部では渦中の担任・保利先生には事態がどう映っていたかを描出。

第三部は湊の目線で、あのときのあれこれは実はこういうことでした、

という種明かしが行われます。

そこまではいいとして。

モヤモヤするのは最終パートですよね。

 

-------------------- 物語の肝(かもしれないところ)に触れています --------------------

 

台風で大雨が降る中、湊は依里に会うため、彼の家(星川家)を訪問。

何故って、転校するとかしないとかの話が中途半端に終わったため、

真偽を確かめたかったからですよね。

応答はなかったが鍵は開いており、

踏み込むと依里はバスタブの中でグッタリしていた。

眠っているというより、

アルコール(酒浸りの父・清高のストックを失敬したか)もしくは何らかの薬で

意識朦朧としている風。

湊は懸命に依里をバスタブから引っ張り出した。

すると、依里の衣服が捲れて背面(腰の辺り)が露出し、黒い痣が見て取れたので、

父親に折檻されていたのだなという憶測が[作品内]現実だったと理解されます。

問題はここから先。

二人がレインコートを着て雨の中を駆けていき、

ある地点でバッと飛び降りたか何かして、

晴れ渡った草ボーボーの野原に降り立ち(レインコートは着ていない)

はしゃぎ回りますよね。

はて。

酩酊状態(だったと見られる)子供が、

さほど時間を経ずに友達と一緒に外へ飛び出す、なんてことが可能でしょうか。

この瞬間、強烈な違和感を覚えました。

魔法や超能力や呪術が存在しない普通の現代日本を舞台にした作品ですから、

いわゆる体力回復アイテムを用いたとは考えられません(笑)。

と、来れば……やっぱり湊と依里は[作品内]現実では星川家の浴室で、

なす術もなく寄り添っているしかないのではないでしょうか。

楽しそうな様子は、

茫然と座り込んだ彼らの脳裏に映し出された白日夢だったのかもしれない、

と捉えた方が(私には)しっくり来るのでした。

早織ママと保利先生が彼らの秘密基地に辿り着いて、

天窓の泥を必死で掻き落とし、やっと車両内を窺えるようになった、

その瞬間、彼らの姿がそこになかったのも、擦れ違いというより、

そもそもあのとき彼らが廃車両には行っていなかった(行けなかった)ことを

示唆している気がしました。

それから、

湊は亡くなった人の夢を見て、起きたらもうその人とは会えないと思うからか、

泣きながら目覚めることがある――

という意味の早織ママのセリフが引っかかるのです。

依里が死んでしまったとは思いませんが、

泣きながら目覚めた湊は誰かに助け出されて病院のベッドの上、

早織ママと保利先生が心配そうに覗き込んでいるけれども、

同じ部屋に依里はいない――というのが、

切り落とされた真のエンディングのように思えてなりません。

だから、最後の最後、二人の短い対話、

 「生まれ変わったのかな」

 「そんなのないよ」

 「そっか」

が、私にはとても悲しく響きました。

[作品内]現実としては、

彼らはまだ四角四面で冷たい現世の軛に囚われたままで、

別天地への脱出は叶っていないのだろうと思って。

でもって、タイトルの怪物という語が意味するものは何だったのか。

一つは湊と依里の関係を容認しない今の共同体および、それを形成する人々の、

一向にアップデートされていかない常識だったのでしょう。

もう一つは、湊と依里たち自身、

つまり思春期のとば口に立たされた少年らを内側から苛む

得体の知れない禍々しいエネルギー……だったのかな。

恐れても拒もうとしても容赦なく襲ってくる成長という名の変化、かと。

 

-------------------- 物語の肝(かもしれないところ)の話、ここまで --------------------

 

あースッキリした(笑)。

ところで、作中、好きなシーンは多々ありますが、

№1を挙げれば、好ましくもあり物悲しくもある、おやつの場面かな。

湊と依里が秘密基地で給食の残りものらしき食パンに蜂蜜のスプレッド(?)を

ニュルニュルして齧り、美味しそうに「うん」とか言うところ。

切ない。

というのも、他にきちんとものを食べる情景が出てこないからなんですよね。

麦野家の食卓では、きっと早織ママが美味しいごはんを作っているのだろうけれど、

二人が差し向かいで食べている最中の絵が登場しない。

亡くなったお父さんの誕生日に早織ママがホールのケーキを買ってきて、

仏壇に供えた後、切って食べようという流れになり、

きっと食べたんだろうけど、湊が食べているところは映っていない。

いただき物のスイカも然り。

星川家は論外。

保利先生もカノジョとデートしているのに、どこかで食べる、あるいは

何か買って帰ってアパートで一緒に……とは、なっていない。

それらの欠けている感のある描写の後でアレですからね。

 

 

時間を置いて見直したいですなぁ。