深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『大手拓次詩集』

詩人・文学研究家、原子朗(1924-2017)が手掛けた
大手拓次精選詩集の復刊、2018年7月(第4刷)。

大手拓次詩集 (岩波文庫)

大手拓次詩集 (岩波文庫)

  • 作者:大手 拓次
  • 発売日: 1991/11/18
  • メディア: 文庫
 


岩波文庫復刊情報を得て喜び勇んで購入しながら
二年も寝かせてしまった。

 

巻末の年譜をザッとまとめると――

 

大手拓次(1887-1934)は裕福な温泉旅館経営者の家に生まれたが、
幼くして父母が病死し、祖父母に愛情を注がれて育ったものの、

17歳で中耳炎を患い、これが元になり、
長年に渡って複数の身体的症状に苦しめられたという。
家督相続を放棄して上京、早稲田大学へ。
しかし、ボードレール等を耽読し、詩作に没頭して、
卒業後は働かず、仕送りが打ち切られて貧窮に喘いだ末、
ライオン歯磨本舗(現ライオン株式会社)広告部に就職。
サラリーマン詩人として結社を作ったり、
北原白秋萩原朔太郎らと交友を持ったりもしたが、私生活は孤独だったし、
何故か白秋に送った原稿が

握り潰された格好で出版は実現しなかった(二度も【*】)。
後輩社員や会社が設立した歯科医院に勤務する女性に
片思いし、いくつかの作品に思慕を反映させたが恋は実らず。
結核のため入院、病床でも詩を書き続けたが、
誰にも看取られず46年の生涯を閉じた――。

 

本の構成・内容は以下のごとく(※は巻末の編者解説より)。

 

■初期詩篇(明治期:20~25歳)20篇/229篇
 遠い憧れの誰か・何かに思慕の情を投げかける――が、
 果たしてその人・ものは実在するのか。
 ※自然主義から口語象徴詩に移行し、ボードレールに惑溺。

 

■『藍色の蟇』時代Ⅰ(大正初期:25~30歳)51篇/543篇
 表現が洗練され、解像度の高い映像作品のようになってくる。
 「蛇」というモチーフへのこだわりはエロティシズムの表出か。
 彼は何ものかに誘惑され、自らを(性的に)解放したかったのか。
 あるいは、蛇は脱皮を繰り返すことから不老長生を表しているとの説もあり、
 永遠への憧れを託したのか。
 ※拓次詩風の粋の前半、脂の乗り切った作品揃い。

 

■『藍色の蟇』時代Ⅱ(大正後期:31~39歳)47篇/341篇
 花の香りに満ちているが、同時に不吉な臭気が漂う。

 

  人間の眼玉をあをあをと水のやうに
  藍絵の支那皿にもりそへ、
  すずろに琴音をひびかせる蛙のももを
  うつすりとこがして、
  みづつぽいゆふべの食欲をそそりたてる。

  あぶらぎつた蛇の花嫁のやうな黒い海獣の舌、

  むしやきにしたやはらかい子狐の皮のあまさ、

  なめくぢのすのものは灰色の銀の月かげ、

  とかげのまる煮はあをざめた紫の星くづ、

  むかでの具足煮は情念の刺、

  かはをそのそぎ身はしらじらしい朝のそよ風、

  まつかな極彩色の大どんぶりのなかに、

  帯のやうにうづくまる蛙の卵はきらめく宝石のひとむれだ。

  病毒にむくんだ手首の無花果は今宵の珍果、

  金いろにとけるさかづきにはみどりの毒酒

  ふかい飽くことをしらない食欲は

  山ねずみのやうにたけりくるつてゐる。

 

 ――という「色彩料理」が絢爛かつ頽廃的。
 バタイユ眼球譚」とワイルド「サロメ」を同時に連想。
 ※会社員生活を通して香料などの情報に詳しくなったことも、
  花や香りのモチーフが多い点と関連するか。

 

■『藍色の蟇』以後(昭和期:39~46歳)56篇/494篇
 詩の上での思慕の対象が、空想上の理想の存在から
 身近な生身の誰かに移っていったのではないか……と
 想像したくなるような表現の変化を感じた。
 リアルな生活感が漂い始めたとでも言おうか。
 ※但し、解説によれば、
  この頃は象徴性がより強まり、言葉が軽やかになって、
  生から死への道行きを暗示するかのようだ、とのこと。

 

散文詩 17篇/約50篇
 どうしようもなく溢れ出す想いを生(なま)のままでなく、
 作品に昇華しようとした風な言葉の奔流。

 

■文語詩篇 11篇/約870篇
 病魔、そして、迫りくる死の影への怯え。
 ※解説によると、実は40歳を過ぎてからの片恋によって生じた嘆きの歌。

 

■訳詩篇 約30篇/約100篇
 ボードレールへの偏愛。
 ※解説に曰く、大胆な意訳がほとんどで、まるでオリジナル詩篇の様相とか。

 

死後、友人らによって詩集が刊行されたので、徹底的に孤独ではなく、
好んで不如意に甘んじたはずもなかったろうが、
他人との付き合いを極力避け、他に趣味を持たなかったことで、
求道者のようにストイックに己の創作の道を突き進んだ印象。
反面、何人かの女性に好意を抱いては上手くアプローチできずに

悶々としていた風で、言葉は悪いが、その点はどこか滑稽に映る。
けれども、一方的な未完の恋は美しいイメージのまま詩の中に凝ったのだろう。

 

それにしても引っ掛かるのは【*】の件。

先輩として添削に応じ、的確なアドバイスを……ということなら理解できるが、

約束をうやむやにし、結局反故にしてしまった(二度も)ことには

悪意を感じる。

無名の書き手に自分より優れた才能を示されて嫉妬でもしたのだろうかと

邪推したくなる。

それでいて、編者解説によれば、北原白秋萩原朔太郎は、

生前の大手拓次と直接顔を合わせたのは一、二度だったにもかかわらず、

訳知り顔で彼の人となりを語って、

実像とはズレたパブリックイメージを世間に広めてしまったらしく、

その点にも不快感を禁じ得ない。

 

(気を取り直して)ちなみに、大手拓次の名を初めて知ったのは、

ちばひさとの漫画『林檎料理』で、だった。

 

この本を久しぶりに再読し、引用された詩、
タイトルも同じ「林檎料理」が改めて気になったので、
2018年に復刊された当詩集を買ったのだが、
残念なことに本作は収録されていない(泣)。

 

孫引きになるが、

上記の漫画最終ページ(ちばひさと『林檎料理』p.64)に掲載された

大手拓次・作「林檎料理」を

引用しておく(『世界の詩28 大手拓司詩集』より、と注記あり)。

 

 手にとってみれば
 ゆめのやうにきえうせる淡雪りんご
 ネルのきものにつつまれた女のはだのやうに
 ふうはりともりあがる淡雪りんご
 舌のとろけるやうにあまくねばねばとして
 嫉妬のたのしい心持にも似た淡雪りんご
 まっしろい皿のうへに
 うつくしくもられて泡をふき
 香水のしみこんだ銀のフォークのささるのを待つている
 ――とびらをたたく風のおとのしめやかな晩
 さみしい秋の
 林檎料理のなつかしさよ――