深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

読解できないのは書いたヤツが下手だからと言われればそれまでだが。

拙作「玉骨」に読後コメントをいただいたのですが、

好みに合わなかったとか、期待したほど面白くなかったとか、

時間を無駄にした……(あ、悲しくなってきた)等の批判をいただいたら、

力量不足で申し訳ございませんでした、と素直に謝るしかありませんが、

作者が提示した手掛かりを斜め読みして見落として「わからなかった」と

言われてもねぇ……という事象が生じました。

いや、「わからなかった」というのも、読者それぞれの感想の一つだから、

それもまたアリですが、

「おまえが書いたものを読んでやるぜ」とおっしゃるなら、

ジャンルやテーマ、あるいは、最低限これだけはクリアしておけという

条件などを事前に提示してくれるのがフェアというか親切じゃないかと

思った次第。

最初から吟味する気が薄いなら、何もわざわざ……。

 

あ、そうか、

だったらこっちから「読んでください」って言いに行かなきゃいいのか(笑)。

 

いや、そうじゃなくて(汗)。

 

「わかりにくさ」の一つは、私が掌短編において一視点で叙述する際、

時折「一人称代名詞を省略する」ことに起因すると思われます。

これは5年くらい前から行っている実験の一種で、

「僕」「俺」「私」「あたし」「おいら」「拙者」「それがし」等々(笑)を

用いずに、どこまで書けるかやってみよう! 的なことです。

中編(四百字詰め原稿用紙100枚くらいまで)なら可能のようです。

 

サースティ

サースティ

 

 

説明は小説ではないぞよ――って、昔、ある人に忠告されました。

確かにそのとおりだと思って、以後、表現したい主題・モチーフに沿って、

しかも、的確な叙述を心掛けつつ【※】

"語り過ぎない"書き方を模索してきましたが、

一々詳述しないと内容を汲み取れない人もいるのね、と再認したのでした。

そういう方とはきっと読書傾向も違っていて趣味が合わないわよね(笑)。

 

【※】以下の言葉を戒めとしているので。

 

 明確な線や輪郭で、細部をくっきりと描なければ幻想にはならない

  ◆澁澤龍彦『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(学研M文庫)p.152

   初出:幻想文学新人賞選評「もっと幾何学的精神を」

 

 あいまいな、もやもやした雰囲気の中を、
 ただ男や女がうろうろと歩きまわるだけの話をいくら書いたって、
 そんなものは幻想でも何でもありやしない。(同 p.156)

   初出:幻想文学新人賞選評「ふたたび幾何学的精神を」

 

 

ちなみに、先方がコメントを削除する可能性もあるので――

あるいはサービス退会につきアカウント消滅とか(←このパターン多し!)――

やり取りはスクショしておきました。

 

でも、やっぱり書いた側としては縦書きで読んでいただきのであります。

「玉骨」は Romancer『掌編 -Short Short Stories-』収録。

 

 

【追記】

 当方は過去、随分他の執筆者に気を遣って、

 どこか一つはいいところを探して褒めてあげる式コメントを

 発していたよなぁ……と、数年前を振り返り。

 それが必ずしもいいこととは限らない、とも理解していますがね。

 

ああ、疲れた。

それこそ大事な小説を書く時間を潰してまでこんなことを……(ぐぬぬ)。