ミカコの思い出。
かつて勤務した女だらけのオフィスに在籍していた大学生アルバイト、ミカコの話。
もっとも、私の方が後から入ったので、
年下の彼女にいろいろ教わる立場だったのだが。
ある日、ミカコが言った。
「『アメリカン・サイコ』読んだ???」
「ううん」
すぐ始業時刻になったので、雑談は打ち切られ、
興味・関心の方向がマルチテンタクルなミカコは私の前で二度とそのタイトルを
口にしなかった。
思い返せば、あれは物欲ダダ漏れで、
所持品や配偶者(または交際相手)のスペックを自慢し合う女ばかりの、
主に不在者の陰口に支配された反吐が出そうな空間だった。
……てなことを不意に思い出し、当該図書を探してみた。
手に入ったのは、これら上下巻。
上巻は初版、下巻は映画化を受けての再版につき、装丁の雰囲気が異なる。
ブクログでの登録は(面倒なので)最初に出た単行本にしておいた。
感想はこんな感じ。
付言すべきこととしては――
ホモソーシャル空間っつーのは父親探しの場なんだろうか、とかね。
主人公、語り手〈私〉ことエリート青年パトリック・ベイトマンは
不確かなアイデンティティの拠り所として様々な形あるアイテムにすがるのだが、
母と弟はチラッと登場するけれど、社長である父は最後まで姿を現さない。
罰されることを望んでわざわざ罪を犯すかのようなパトリックの行動は、
様々なものを授けてくれたが行くべき道筋を示してはくれない父を探す悪足掻き、
なのだろうか。
ところで、母は精神を病んでいるのか記憶に問題があるのか、
パトリックと対面しても、ぼんやりとクリスマスの話をするのみ。
弟ショーンはパトリックの数倍軽薄な趣き(口癖は「ロックンロール」)だが、
パトリックよりは余程、健全というか、地に足が着いていそうな印象。
ちなみに、ショーン・ベイトマンは先行作品『ルールズ・オブ・アトラクション』
主要登場人物の一人らしい(ロックンロール!)。
映画の方が面白そうな気がするね、きっと、無駄に長くない分(笑)。