深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『羅陵王』

そう言えば読んでいなかったと、

ふと思い出した絶版本を中古で購入(1988年第2刷)。

しかし、目を通してみたら、

もしかして既に読んだことがあったのでは……という気がしてきた。

それはさておき。

1980年代半ばに発表されたSF短編、全4編収録、

佐藤史生羅陵王』の巻。

 

 

羅陵王(らりょうおう):1985年 LaLa12月号

 タイトルは雅楽の曲名で「蘭陵王」とも呼ばれる。

 中国・北斉の皇族・高長恭の諸侯王としての称号で、

 その武勇伝を題材とした舞楽を指す。

 獰猛な仮面で美貌を隠して戦に大勝した彼の勇姿を

 兵士たちが讃えた歌が由来とされる。

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 帝国評議会の名代、軍人上がりの役人モルテス青年は

 蝕市(ラーフ・シティ)へ赴き、

 租税として不老長寿薬〈アムリタ〉を取り立てようとしていたが、

 神殿の主レディ・トゥネ(見た目は幼女)は

 「アムリタは神の思し召しのままに生じる」と空惚け……。

 アムリタはインド神話に登場する神秘的な飲料の名で、

 飲む者に不死を与えるとされる。

 また、ラーフ(Rāhu)とは

 インド神話上のアスラ(魔)で「捕らえるもの」の意。

 神に化けてアムリタを口にしたため首を斬られたが、首だけが不死となり、

 自分の行いを神々に密告した太陽と月を恨んで

 日蝕や月蝕を引き起こすようになったという神話がある、とか。

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 モルテスはアムリタを盗み出したが、

 何故かレディ・トゥネは国外退去を命じただけで彼を罰そうとせず、

 都市を封鎖。

 その真意は――。

 疫病と性と長命の問題をSFの枠組みで、不老長寿の妙薬の秘密を

 優形(やさがた)を獰猛な面で覆った羅陵王に準え、

 しかも、たった40ページで描いた怪作。

 主人公の名モルテスはイタリア語などの死を意味する morte から

 採られたであろう。

 部下のゼロは文字通り零、

 虚無(それにしては剽軽なキャラクターというところが痛々しい)、

 随伴するアンドロイドのエルドリッチという名前は恐らく、

 P.K.ディック『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』において、

 彼が持ち帰ったドラッグが人々に不死と安寧を与えるところに

 由来するのだろう。

 ともあれ、使命として幼形のまま年老いるしかなかった童女

 自らを招き寄せるくだりが切ないな……。

 ところで、現在、我々を悩ます厄介なウイルスも、いつかは弱体化し、

 人類を益する存在となってくれるのだろうか(そう上手くはいかないか)……。

 

アレフ:1985年 グレープフルーツ第23号

 漫画家・徳永メイ原案、

 元のタイトルは「マーテル・ノストラ」(Mater Nostra=我らの母)で、

 これは脚注によると「完全自動制御受胎システム」。

 アレフ(aleph)はヘブライ文字の第一文字目。

 遺伝学者にしてカルト結社《パラディ》の主幹アンヌ・フレイに誘拐された

 ジェネティック研究所の重要人物〈アレフ〉を追って

 USE(ヨーロッパ合衆国)から日本へやって来た

 ジェイムズ・ハートマン博士(♀)。

 彼女は保安局主任アイ・シンに導かれ、おぞましくもいかがわしい歓楽街へ。

 裏社会のボスは《パラディ》の祭が終われば〈神様〉である〈アレフ〉は

 解放されるというのだが……。

 フェミニズムSFなのだが、何となく座り心地が悪いのは

 どのキャラクターにも感情移入できなかったせいかなぁ。

 

タオピ:1987年プチフラワー11月号

 漫画家・徳永メイ原案。

 ワシントンDC郊外の森に佇む合衆国超能力研究所。

 ユキことサイコ・クリニックのカウンセラー、アマミヤ・ユキオの帰還。

 17歳のPK能力者(サイコキノ)で性被害者の少女シンティは

 加害者を死に至らしめたが、その際の状況を説明出来る者がいないため、

 聞き取りを行えという所長。

 元女優だったシンティの母はネイティヴ・アメリカンで、

 父親(シンティの祖父)からのプレゼントだった〈子守り男〉の人形に

 タオピと名づけた由。

 〈子守り男〉は泣き止まない子供を殺して天国へ行けず、

 さまよい続けていると言われる部族の精霊で、

 シンティの分裂した自我がタオピの形を取って発現し、

 加害者に報復したらしいと察するユキオだったが……。

 ユキオは身体が男で心が女というよりは、

 GIDではないけれども男社会の空気やマチスモを嫌悪して

 女性の着ぐるみをまとっている風。

 男からの暴力に晒され、いかに身を守るべきか腐心する女と、

 女に近い立ち位置の男の共感と連帯の物語だが、

 去って行く精霊は最初から蚊帳の外といった印象で今一つピンと来ない。

 

緑柱庭園(エメラルド・ガーデン):1987年8月『吉祥花人』

 佐藤史生責任編集の

 オムニバス短編集『吉祥花人(ラクシュミー)』(白泉社)掲載作。

 モルディガール帝国の女帝シルドゥーンは

 殉職した近衛隊長の子カイルロッドを引き取り、

 自身の愛娘・皇女シルドラの兄として養育。

 カイルロッドは武勇の誉れ高い美青年に成長し、

 女帝に傅く数多の愛人の一人ともなったが、

 女帝は彼にシルドラの夫になれと命じ……。

 美しく残酷なお伽話。

 女帝は美女とは呼び難い容貌だが、

 恐らく権力とフェロモンで男を引き寄せていたと見える。

 カイルロッドは恩に報いる気持ちを恋愛感情にすり替えさせられてしまった

 犠牲者なのだが、彼を愛し救おうとしたシルドラに非情な仕打ちをしたのは、

 彼女が母親である女帝に似ていくのを防ぐため、

 また、永遠に妹として接したいがためだったのだろうか。

 そう考えると、

 普通に(健全に)年老いることを許されなかった女の悲劇という型が

 「羅陵王」のレディ・トゥネと共通するではないかと思える。

 

うーん、

原付(げんつき)じゃない史生センセイ単独オリジナル作の方が

断然好みだなぁ。

少々肩肘張り過ぎな感が苦手なのだと思う「アレフ」と「タオピ」。

時間を置いて読み返したら違う感想が出てくるかもしれないけれど。

私は多分、喧嘩腰じゃない

ニュルッと、あるいはフワッとしたフェミニズム物の方が好きなのだろう。

じゃあ例を挙げろと言われても困るけど(笑)。

 

さてさて、ここからちょいと「は? 何言ってんの??」と

詰め寄られかねない話に入りますね(汗)。

今般、史生ワールドを二冊続けて堪能して感じたこと。

ええい、牽強付会、上等だぜ(笑)!

あのね、もちろん作品によるけれども、

佐藤史生マンガと岡崎京子マンガは意外に似ておるで。

どこが?

の取り扱い方が。

性描写がまあまあ頻出する割りに、雰囲気が淡泊なのですな。

きっと作者が恋愛至上主義者ではないからだと察するぞ。

好き好き超大好き!

なんて言い合っているカップルが、その関係を確認する、

自身がパートナーをいかに慈しんでいるかを明らかにするための

身体表現としてのセックスというよりは、

生活の一部だから、いつもやっていることだから、

といった日常的な動作に過ぎないかのような淡々とした描き方、

それを崇高なものとして美化しない、みたいな態度が。

岡崎作品については時折、誤読している人の意見を見かけるけれどもね。

ともかく、性行為の描出が読者の劣情を刺激しないんですよ。

多分、登場人物たちがその時々の相手を一々好き好き超大好き!

とは思っていないからなのでしょう。

また、読者に対して、

「あなた方が純愛だの熱愛だのの表出と名指す行為なんて所詮こんなもん」

と、アイロニーをぶつけて来るかのようでもありますね。

性愛の相対化。

愛 ≠ セックス。

岡崎京子「3つ数えろ」(『私は貴兄〈あなた〉のオモチャなの』収録)より。

岡崎京子ヘルタースケルター』より。

佐藤史生「ネペンティス」より。

 

……と、駄弁を弄するのはひとまずこれくらいにしておきます。

 

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