ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『シェルタリング・スカイ』の
原作として知られるポール・ボウルズ『極地の空』読了。
――というか、そもそも小説の原題が The Sheltering Sky 。
Wikipediaによると、映画には作者も出演したとか。
分身や双子をテーマに編纂されたアンソロジー『ダブル/ダブル』に
収録された「あんたはあたしじゃない」という変な短編を読んで、
この作者名に見覚えがあるな、と思ったら、あの人か……と。
fukagawa-natsumi.hatenablog.com
そこで(映画未見のまま)シェルタリング・スカイが
気になりだしたのだけど、絶版の文庫の中古価格が高騰していたので
元の単行本を取り寄せた次第。
訳者が同じだから内容もそのまま一緒だろうと考えて。
あ、今、見直したら ☝ 値が下がってる……ガビーン💧
私が購入したのはこちら。
旧字・旧かなですよ。
そんなに苦にならないですけどね。
それより驚いたのは奥付。
「地方売価」なる見慣れぬ語。
そうか、昔は首都圏と地方で本の定価が違ったのか……。
さて、内容ですが。
友人タンナーと共に戦争の余波が感じられない地域へ長期の旅を……
と考え、北アフリカへ。
結婚から12年、ポート(ポーター)とキット(キャザリン)は
倦怠期に入っていた。
緩衝材となり得そうな男を一人加えたつもりの旅だったが、
却ってタンナーの陽気さ、暢気さにイライラさせられる二人。
しかし、ホテルのバーで知り合ったイギリス人、
エリック・ライルとその母の誘いで別の土地へ移動することになったのが
きっかけで、彼らは破滅への道に足を踏み入れ……
といったところ。
金と暇を持て余し――あまつさえ定職に就いてもいない――
三十代後半(?)の、やや高慢な夫婦が
共に“壊れて”いく様が淡々と叙述される。
その物質文明を批判する意図で書かれたのか、どうなのか、
この古い翻訳書と巻末の解説でははっきりしない。
一読者としては、作者はもしかすると第三部の妻キットの彷徨を描きたくて、
それに説得力を持たせるために
長くまだるっこしいイントロダクションを構築したのだろうか……
という印象を持った。
ただ、自然の猛威(砂漠という過酷な環境や疫病など)に、
ちっぽけな人間はなす術もなく押し流されるのみ――との考えには共感できる。
邦題について翻訳者はあとがきで、
> 人間の頭上にあって彼を庇護している大空、という意味の、
> 作品中の言葉からとったものである。
> どうにも適訳がないので、主人公たちがサハラ沙漠という
> 一種の極限状態のなかへ入りこむという物語の成行きから
> 「極地の空」という意訳を試みたわけである。
と述べているが、
上記『ダブル/ダブル』における柴田元幸氏による「天蓋の空」の方が
しっくり来ると思う。
高い建物がなく、開放的で、空がとても広い、けれども、
旅人に自由を謳歌させてくれるかのような、そんな空が、
実は霞網のように彼らを捕え、縛めている――
といったニュアンスなのかと読後に感じた。
あ、一ヶ所、人が倒れていましたね(笑)。
ところで、現在、書影に誤りアリ。
同《新鋭海外文學叢書》のモンテルラン『沙漠のバラの戀物語』
が表示されちゃっています(あーあ)。
こういうとき、現物の所有者が表紙を撮影してAmazonに投稿すれば、
上書きしてもらえるのですが、
データが反映されるまでにかかる時間の長いことといったら!
面倒だからやりません、誰か代わりにお願い(-人-)南無。