昔からタイトルを気にかけつつ、何となく買いそびれていた本を
先月ふとしたきっかけで古書店で購入、読了。
カナダのマイケル・リチャードソンなる人物による
「影」「鏡」「分身」「双子」等々を扱った作品を集めたアンソロジー。
書影が出ないので画像を貼っておきます。
イラストは玖保キリコさん。
分身を描いた短編と言われて咄嗟に思いつくのは
ポオ「ウィリアム・ウィルソン」くらいだったので、
20世紀欧米・南米の怪奇・不条理小説のバリエーションの豊富さが楽しかった。
ただ、訳者あとがきによると、ボルヘス「August 25」(1983年)は
権利の問題でこの日本版に収録できなかったそうで、残念。
読んでみたかった。
訳出されたのは――
ジョージ・D・ペインター「かれとかれ」
ハンス・クリスチャン・アンデルセン「影」
ルース・レンデル「分身」
トンマーゾ・ランドルフィ「ゴーゴリの妻」
ジョン・バース「陳情書」
ポール・ボウルズ「あんたはあたしじゃない」
グレアム・グリーン「被告側の言い分」
スーザン・ソンタグ「ダミー」
ブライアン・W・オールディス「華麗優美な船」
アルベルト・モラヴィア「二重生活」
エリック・マコーマック「双子」
フリオ・コルタサル「あっちの方では――アリーナ・レイエスの日記」
アルジャーノン・ブラックウッド「二人で一人」
アドルフォ・ビオイ=カサーレス「パウリーナの思い出に」
コルタサル「あっちの方では」は、光文社古典新訳文庫
『奪われた家/天国の扉』(寺尾隆吉=訳「遥かな女」)で既読。
倦怠感に満ちた日記を綴り、言葉遊びに耽るアリーナは、
遥か遠くにいる女性の姿を幻視する。
彼女は虐げられ、辛い想いをしているに違いなく、
自分が傷を癒してやれないだろうかと考えるアリーナが
結婚して夫と共にブダペストへ新婚旅行に赴くと……。
特に面白かったのはルース・レンデル「分身」。
ピーターが婚約者リーザと共に公園へ行くとカップルの先客がおり、
その女性が自分にそっくりだと怯えるリーザ。
自分の分身に出会った者は遠からず死ぬのだ――と。
ピーターにはリーザとその女性ゾーイが似ているとは思えなかったが、
写真を届けにいったのがきっかけで、段々親しくなっていき……。
[教訓]二兎追う者は一兎をも得ず。
話は逸れるけれども「双子」で思い出すのは、その名を持つパン fendu 。
チーズフォンデュの fondue とは別の単語で「双子」あるいは「割れ目」の意。
澁澤龍彦「空飛ぶ大納言」(『唐草物語』p.31-32)に、
> 蹴鞠で用いる鞠はサッカーのボールのように球状ではなく【略】
> フランスパンにも似た、まんなかの部分を強く締めくくった、
> ややくびれたものであった
――と、あるとおり、
天保12(1841)年、歌川国芳「流行猫の曲鞠」に描かれた、
蹴鞠に興じる猫が用いているのは、
巨大な桃のようなフォンデュに似た形状なのだった。