BS NHK『アナザーストーリーズ』10/08放映「三島由紀夫 最後の叫び」を
録画視聴。
市ヶ谷駐屯地乱入事件は何故起こったか――を、
当時三島の間近にいた人たちの証言を元に検証。
90代の生き証人の述懐に基づく図解が、
わかりやすいが生々しくて怖かった(背部の刀傷!!)。
元東大全共闘メンバー(70代)は、
三島は論理的で優しく、軍国主義者という雰囲気でもなかったから、
楯の会なる組織を立ち上げたことに疑問を抱いたという。
その楯の会の構成員だった人は
新宿騒乱が早期に鎮圧されたため、「出番」を失って
手詰まり感に囚われた三島の焦りが暴走したのでは……と証言。
しかし、三島の言い分は「国民は伝統に則ってまとまるべき」というもので、
軍国主義に突き動かされていた風ではなかったとの評もあり。
同じくBS NHK「三島由紀夫×川端康成 運命の物語」でも指摘されていたが、
翻って自身が受賞を逃したことが、
三島の文学外の行動に拍車を駆けたのでは……という話になっていく。
予てから熱心に三島を取材していた、当時のサンデー毎日記者・徳岡孝夫氏は、
事件当日、三島に呼び出されて市ヶ谷へ赴き、
楯の会メンバーから三島がしたためた檄文を預かり、後日、これを誌上に掲載。
徳岡氏曰く、三島は「いい人」だったが、
唯一の欠点は静かに年老いようとしなかったことだ、
生きて書き続けてくれればよかったのに――。
このコメントに深く頷いてしまった。
1. 考えて、書く(実行しない)
2. 考えて、書かない(が、実行する)
3. 考えて、書いて、実行する
1が作家、2は活動家。
三島は表現者として3を狙って生き急いでしまったということか。