深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ダークサイドミステリー《心霊と恐怖の仕掛け人 中岡俊哉》

NHK-BS ダークサイドミステリー《心霊と恐怖の仕掛け人 中岡俊哉》

録画視聴。

 

www.nhk.jp

 

1970年代、オカルトブームの立役者。

ここで言うオカルトとは超能力、心霊現象、UMA、宇宙的恐怖、

ノストラダムスの大予言……等々。

 

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浪曲師だった祖父から語り部としての資質を受け継いだのか、

中国でアナウンサーを務めつつ、現地の奇談を蒐集した中岡は、

帰国後、多数の持ちネタを雑誌に持ち込んだ。

それは何と少女フレンド

 

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《世にもふしぎな事件》と題した、実話という触れ込みの怪事件簿。

具体的な日付・地名を挙げてリアリティを持たせた

エピソードは100以上!

まだ恋愛モノが少なかった少女雑誌において、

読者の好奇心を刺激する恐怖体験話がウケた由。

恐怖×乙女=オカルトブーム

 

執筆依頼が増えると共に中岡の作風は変化。

写真を多用し、自らリポーターを務めるリアル体験記に。

(恐山のイタコ見学など)

 

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そして、テレビ界に参入。

世界を飛び回って情報収集。

 

やがて、ユリ・ゲラーの登場で日本に超能力ブームが巻き起こったが、

中岡は不満を覚えたという。

それは彼に言わせると番組の作り方、素材の見せ方が下手だったから。

曰く「視聴者に科学的研究の必要性を感じさせねばならないのに……」。

そして、テレビとの間に溝を感じるようになっていった――。

 

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オカルトというテーマはオープンエンドなので、

テレビでは使いやすかったのだろう――と、解説者。

しかし、結論を観る者に委ねるスタイルにおいては、

視聴率のために犠牲にされる部分が数多あり、

中岡のポリシーと食い違う点が多くなっていき、結果、

彼は超能力より心霊写真を取り扱うことに軸を移した。

 

中岡は怪しい写真に独自の解説を付し、

地縛霊・浮遊霊といったキャッチ―な造語を生み出した⇒恐怖の発明

(撮影上の失敗などには触れなかったところがミソ)

多くの場合は、実質、シュミラクラ現象をエンタメ化したものだったが、

高度経済成長によってカメラが一般に普及した影響も大きく、

平凡な日常を非日常に変えることに成功した。

 

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大人向けの娯楽を狙ったはずだったが、

図らずも子供にウケて一大ブームに。

そこには未知なるものを発見する喜びがあり、また、

特殊な能力を持たずとも特異体験が可能だとの認識を広めることに貢献。

視聴者参加型番組ゆえの盛り上がりは現在のSNS実況の礎石……?

 

ところが、霊能力者と称する人たちがテレビに進出したことに

中岡は違和感を覚え、袂を分かった。

その後、1980年代には霊感商法詐欺が横行し、

霊能力および霊能力者の信憑性を下げてしまったと大激怒。

 

晩年はヒーリングパワーの研究に没頭し、2001年病没(享年74)。

著書以外の一切の資料を破棄せよと遺言して――。

これは上記の詐欺等を踏まえて、悪用を危惧してのことだったとか。

 

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解説者のまとめによると、

大昔は心霊鑑定と言えば宗教者の役目で、奇怪な出来事の原因を

どこかに求めた(例えば五十年前に動物を殺したせいだ、とか)

ものだったが、時代が下ると怪異がどんどんカジュアルになり、

因果とは無関係になってしまった由。

 

巷間に流布する現代の恐怖物語のベースを醸成したのが

1970年代のオカルトブームであり、マスの時代のコアとなった。

1980年代には

人々の好みは様々なグループに細分化されていったけれども、

結局、形を変えて尚、サブカルを席巻しているのが、

かつてのコアだったオカルトなのである……といったところか。

 

ともあれ、

不可解な出来事を大袈裟に盛り過ぎるテレビ的演出に嫌悪感を示したり、

人を怖がらせたり不思議がらせたりする事象を不正に利用するのを

戒めたりしたところに、

中岡氏の倫理観の高さ、人間としての真っ当さを感じる。

名前と経歴を聞いて何となく胡散臭さを覚えていたことを反省した💧

 

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【余談】心霊写真と言えばわたくしが提供できるネタはこれっきり。

 

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