twitterで情報が流れてきて興味を持ったので購入、読了。
現代チベットの作家の掌短編集で、幻想的な作風に的を絞ったもの。
原著はチベット語または中国語で書かれた作品、全13編。
当地の普通の生活者の日常――の延長線上にある、信仰と怪異の情景。
*
Ⅰ まぼろしを見る
■ ツェリン・ノルブ「人殺し」(2006年)
トラック運転手の〈俺〉は
山道で布団とヤカンを背負った男を助手席に乗せてやった。
それは東チベット人(カンパ)の男で、
かつて父を殺した人物を探して復讐するのだと言う。
彼のことが気になった〈俺〉は、
彼が狙っているのがマジャという人物だとの情報を得たが……。
■ ツェラン・トンドゥプ「カタカタカタ」(1989年)
カタカタカタ……という謎の音に神経を逆撫でされる男。
■ タクブンジャ「三代の夢」(1989年)
土地の神ゴンボ・ラグルと契った女が生んだ子供の孫に当たる
22歳の美女ホワルツォは、
文革期に父ラキャプに苦しめられて亡くなった
村の長老の呪いから逃れられず……。
現代の青年たちの雑談と交錯する古い因縁話――という、
短いにもかかわらず複雑に入り組んだ構成の作品。
神話と下世話な風説が一繋がりになる魔術的な物語。
人物相関図のお陰で混乱せずに済んだ。
■ リクデン・ジャンツォ「赤髪の怨霊」(1990年)
山間の集落で権勢を振るう行者タムディンを震え上がらせる赤髪の怨霊。
居並ぶ人々も恐怖に包まれて事の成り行きを見守ったが――。
どんな無惨な展開になるかと思いきや、
怨霊は意外に慈悲深く(笑)……。
Ⅱ 異界/境界を越える
■ ペマ・ツェテン「屍鬼物語・銃」(初出不明)
インドからチベット、モンゴルにかけて流布するという
枠物語である「屍鬼物語」のヴァリエーション。
連作の中の「銃」というエピソード。
墓場の屍鬼ングートゥプチェンを革袋に入れて
師である聖者ルドゥプ・ニンボに届けようとするデチュー・サンボ。
途中、口を利いたら最初からやり直し(賽の河原か!)。
何とか喋らないよう、懸命に堪えるデチュー・サンボだが、
ングートゥプチェンは興味深い未来の物語を口述して誘惑するのだった。
曰く――(p.88)
「おい、日も長いし、疲れたな。長い道のりは馬で行った方がいいが、馬はおまえさんにもないしおいらにもない。そうでなけりゃ長い道のりは語りで乗り切るのがいい。物語ならおまえさんも語れるし、おいらも語れる。おまえさんが物語を語っておいらが聞くか、あるいはおいらが物語を語っておまえさんが聞くかどっちにするかね」
■ エ・ニマ・ツェリン
「閻魔への訴え」(初出不明)
善良な亡者たちの閻魔大王への切ない訴え、その他。
「犬になった男」(初出不明)
自宅の飼い犬の仔に生まれ変わった男の絶望。
■ ランダ「羊のひとりごと」(1992年)
一頭の羊が語る悲劇。
■ ゴメ・ツェラン・タシ「一九八六年の雨合羽」(2013年)
1986年、小学二年生のタシは
黄色いレインコートをお土産に貰って大喜び。
雨が降れば着られるのに……と思うが、村は日照りに見舞われていた。
解説によれば、時代は文革が終わって数年後、
人々が生活に希望を見出し始めた頃。
雨乞いの儀式に必要な黄色い衣が村にない=文革による僧侶の不在を表し、
また、ビニール製のレインコートは物質文明の到来を示唆しているという。
それにしても、タイトルを見た瞬間「1986年」と「雨」で
チェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故を連想してしまったわ……。
【タイトル、正しくは「去る四月の二十六日」】
Ⅲ 現実と非現実のあいだ
■ ツェラン・トンドゥプ「神降ろしは悪魔憑き」(1984年)
村の憑坐の実態(笑)と少年のクールな眼差し。
■ レーコル「子猫の足跡」(2016年)
母猫に「ほら貝」と呼ばれる子猫、三兄妹の次男坊の目に映る、
家族と飼い主一家の様子。
最後までほのぼのとした雰囲気を期待していたが、
結末は無情(読むのが辛かった)。
解説によると、地方から都会=外の世界へ出て
アイデンティティの問題に苦しむ若者の様子を投影している、とか。
■ ツェワン・ナムジャ「ごみ」(2016年)
ゴミの山に通って目ぼしい品を集めるタプンは、ある日
とんでもないものを見つけてしまい……。
■ ランダ「一脚鬼カント」(1996年)
災いを起こすとされる《お化け》=一脚鬼(デ・カント)を巡るドタバタ。
*
異文化圏の様相を垣間見る新鮮な読書体験だったが、
生活様式は多少違っても、
人間が喜んだり怖がったりする「もの」「こと」は、やっぱり同じだと納得。
それにしても、巻頭ツェリン・ノルブ「人殺し」のインパクトが強烈過ぎて、
他が幾分霞んでしまったのが残念。
「人殺し」は、
本来別個の存在である二者が時空を超えて合一するボルヘス的幻想譚の趣。
〈俺〉は復讐しそこねたカンパの男にひどく同情したのか、あるいは単に――
夢の中ででも――人を殺したいという欲望を抱えていたのだろうか……。
ところで、装丁ならぬ装釘は宗利淳一さん。
三冊目の出会いです!