NHK『100分de名著』スペシャル「100分de萩尾望都」1月2日の放送を
見逃した間抜けは私です。
どうして誰も2020年のうちに教えてくれなかったんだ(憤)ꐦ
などと怒っていたら、再放送情報がtwitterで流れてきたので途端にニコニコ。
録画予約して待ち構えました。
オープニングの、萩尾原画が軽く動くアニメが上品でとてもよかった。
番組はオモー様フリークの代表格的な方々の熱~いトーク100分間、四部構成。
Ⅰ.トーマの心臓
少年同士の友情と恋愛の物語に自由を感じたという小谷真理。
そこには何ものかに束縛される女が登場しないので、
読者の少女たちも自由な空気を呼吸することが出来た由。
また、読み手は作品に触れたことから展開する空想の中で、
ユニセックスな、男でも女でもないものになれた、とのこと。
自殺という重罪を犯しながらユーリの救世主となったトーマの愛に応えるべく、
神学校に入るユーリ――という、
物語の舞台は、行動に一々エクスキューズが必要な少女に対して
少年は自由だから描きやすいと気づいた萩尾望都が構築した
SF的別天地としてのギムナジウムである。
●夢枕獏「14歳の神秘性をインプットされた」
●中条省平
「24年組の登場で漫画の時間表現が変わった。
直線的な時間の流れが歪められた→漫画の技法の改革だった」
※ 私は苦悩するユーリに寄り添うオスカー派であります(`・ω・´)ゞ
Ⅱ.家族という病
「半神」人間の実存に迫るコンパクトな巨編。
「少女時代に深い悲しみを知っていなければこんな作品は描けない」
「もしや双子ではなく一人の人間の二面を描いたのではなかったか?」
●カズレーザー「ルッキズムの塊のような親の残酷さ、壮絶なバッドエンド」
●中条省平「造物主への問いかけ」
●夢枕獏「萩尾作品の多くは親子関係の問題を取り扱っている」
●斎藤環
「執筆は萩尾望都が自身の母との葛藤を乗り越えるためのセラピーだったか」
記憶の継承による不老不死を目指す物語。
神がもたらす運命 vs 人間の自由意思。
全体主義への誘惑は現代の問題とも重なる。
●中条省平「言葉を介さなければ人間は本当に人間にはなれない」
※ オモー様はヒューマニストだよね。
全員が融合して一緒くたになっちゃえば悩みもなくなるという考えを
よしとせず、一個 対 一個が各々孤独を抱えながら
コミュニケートに努める姿を美しいと考える。
そして、人間は生きている限り、いかに信頼し合い愛し合う相手がいたとしても、
それぞれが孤独であり続け、結局最後は一人で死んでいくのだよ……。
Ⅳ.人間ならざるものの孤独「ポーの一族」
集団に違和感を覚える子供はいかに世間と折り合いをつけていくべきか。
長期遠大的居場所探しのドラマ。
●夢枕獏
「14歳のバンパネラという、とんでもない設定」
「究極のマイノリティの、永遠と一瞬の(間の)物語」
「《ひとりではさびしすぎる》というエドガーのセリフは
萩尾望都自身が孤独と向き合おうとする宣言だったのかもしれない」
●中条省平
「高度経済成長を遂げた男性至上主義の1970年代日本に一石を投じた怪作」
「萩尾望都は文化功労者に選出されたがそんなものでは足らん、人間国宝に!」
※ 短編連作形式なので各話ごとに主な語り手が異なるのだが、
私は実はエドガー側より、
彼らと束の間触れ合って別れた平凡な人々のちっぽけなドラマに
心惹かれるのであります。
答え合わせの会である探偵小説風な「ランプトンは語る」が
殊の外好き(結末は残酷だけど)。
そして、何と言っても「エディス」の、あのしんみりしたエンディング!
永遠の美と若さを象徴するバンパネラを追い求め、擦れ違い、
また、置き去りにされて年老いていく、
普通の人間の悲哀に胸を締め付けられるのだった。
※ 愛好者と言いながら未読作の多いダメダメなぬるいファンです。
これからボチボチ空白地帯に手を出していこうかなと思いつつ、
でもやっぱり昔からの愛読作を繰り返し読み込むのだろうなぁという気がする……。
ともあれ、偉大なオモー様がいつまでも健筆を揮われますように(-人-)💕