深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『シオンズ・フィクション』

昨年から(だったかな?)チラホラ噂を聞いていた

イスラエルのSFアンソロジーが本当に出た……ので購入、読了。

 

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イスラエルSF&ファンタジー界の中心的人物らによるSF短編選集。

原文が英語の作品[*1]あり、ヘブライ語→英語→日本語[*2]、

あるいはロシア語→英語→日本語[*3]という重訳もあり。

訳者あとがきを含めると700ページを超す大部。

収録作は、

 

■ラヴィ・ティドハー「オレンジ畑の香り」

 The Smell of Orange Groves(2011年)[*1]

  鐘威衛(ジョン・ウェイウェイ)はユリア・ラビノヴィッチと結婚し、

  息子にヴラドと名付けた。

  ヴラド・チョンの息子はボリス・アーロン・チョン。

  威衛は自らの、そして、家族の思い出が未来永劫、色褪せないように祈ったが、

  テクノロジーの進歩も手伝って願いは叶い、

  医師であり、宇宙へ出て地球に帰還したボリスは今や、

  祖父や父や甥も含めて、一族の記憶に常時アクセス可能となっていた。

   断絶しないどころか時間軸を遡行することさえ可能な父系の絆=記憶は、

   ユダヤ人がいかに各地に散らばろうとも必ず集合するための

   縁(よすが)を意味するか。

   しかし、それは部外者には足枷のように

   人を縛り付ける鬱陶しいもののようにも映る。

 

■ガイル・ハエヴェン「スロー族」The Slows(1999年)[*2]
  加速促進幼児成長(accelerated offspring grows=AOG)技術が開発され、

  子供時代に猛スピードで成長し、大人になってから死ぬまでの人生を

  長く充実したものにすることが当たり前になった世の中。

  そこでは現役世代として活躍している間に子孫を(40世代後までも!)

  増やせるが、AOGを拒否して本来のスピードのままで子育てをする

  《スロー族》が希少種として保護されていた。

   乳飲み子を抱えたスロー族の女性と研究者との

   決して噛み合わない会話を通して、

   “早く大人になって幸福な余生を”という価値観の異様さが浮き彫りにされる。

   成人年齢があまりにも低く設定されている社会は、

   人を子供のうちに結婚させたり、兵士として徴用したりするから

   好戦的になりがち――といった文章をどこかで読んだ記憶が蘇った。

 

■ケレン・ランズマン「アレキサンドリアを焼く」Burn Alexadria(2015年)[*2]

  タイトルはプトレマイオス朝時代からローマ帝国時代の

  アレクサンドリア図書館と、その焼亡に由来。

  タイムトラベルを行っては、

  行った先の文化を記録する〈惑星地球の統一連合図書館〉。

  主任司書と接触した捜査官たちの困惑が描かれる。

  実は彼らは……。

   解説によると、作者は歴史上のアレクサンドリア図書館を

   フィクションの中で救済すべく本作を執筆した由。

   重要なものを外敵から守るため、

   データを保存・隔離した上で容れ物を破壊するという筋書きが、

   図書館の中味を罹災させないことと重ねられ、

   同時にロボット工学三原則にも触れている。

 

■ガイ・ハソン「完璧な娘」The Perfect Girl(2005年)[*1]

  パーフェクト・ガールすなわち完璧な女の子、つまり、

  若く美しいまま既に死んでいる無敵の少女に振り回される生者の話。

  大江健三郎「死者の奢り」を思い出したが、

  こちらはアメリカのサイコホラー風の雰囲気。

 

死者の奢り

死者の奢り

 
死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 

 

  超能力者がトレーニングを受ける全寮制のインディアナポリス・アカデミーに

  入学したアレグザンドラ・ワトスンは、

  厳しいルールとカリキュラムに耐えようとする中、

  実習で真新しく美しい遺体に触れて残留思惟を読み取ろうとする。

  ところが、アレグザンドラは彼女=ステファニー・レナルズの境遇に

  共感を覚える点が多いせいもあって深入りしてしまい、

  もう死んだ人であるにもかかわらず、彼女の強い感情の昂りに振り回される。

 

■ナヴァ・セメル「星々の狩人」Hunter of Stars(2009年)[*2]

  歴史上〈小さな光の掩蔽〉と呼ばれる現象が起きて十年。

  人間が放出した有毒ガスのせいで空気が汚れ、

  すべての星の光が遮られてしまった。

  だが、掩蔽の晩に誕生したネリと親友のシェリ

  未来への希望と共に生きている。

 

■ニル・ヤニヴ「信心者たち」The Believers(2007年)[*2]

  人々は〈神〉の出現によって、

  宗教上の戒律を破ると罰として身体を破壊され、血飛沫を上げて消滅。

  〈わたし〉は仲間と共に、そんな〈神〉に立ち向かう不信心者となった――

  という話。

 

■エヤル・テレル「可能性世界」Possibilities(2003年)[*1]
  20年前、50歳の折、小説家サイモンは女性占い師セデフに、

  19歳のとき従軍しなかった朝鮮戦争に加わっていたら

  どうなっていただろうかと問いかけた。

  今、病床で過去を回想するサイモンの許へ、セデフが面会に訪れ……。

   ブラッドベリの短編「埋め合わせ」(2000年)への

   オマージュ作品だそうだが、今一つピンと来ない。

 

■ロテム・バルヒン「鏡」In the Mirror(2007年)[*2]
  女性のパートナー同士、同居し、猫と共に暮らすダニエルとリロン。

  ある日、どちらかの不手際で猫を事故死させてしまい、激しく落ち込む。

  ダニエルは祖母の形見の鏡を割って、別の世界で生きる自分の様子を探る。

  様々な局面でいくつかの分岐点があり、

  現在の自分とは違う方へ進んだ他の自分たちを。

  リロンと信頼し合い、しかし、猫のミカを失った“今”“ここ”の自分が

  少しはマシな状態であるように……と。

  しかし――。

   訳者が市田泉と記されているが、正しくは安野玲と版元HPに訂正あり。

 

■モルデハイ・サソン「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」

 The Stern-Gerlach Mice(1984年)[*2]

  タイトルは、電子にスピンがあるのを示す

  「シュテルン=ゲルラッハの実験(The Stern-Gerlach experiment)」に由来。

  巨大化して(また小さくなることも出来る)知能を持った鼠が

  エルサレムに溢れ、人間を攻撃するが、ポンコツなロボットがそれに対峙。

 

ja.wikipedia.org

 

■サヴィヨン・リープレヒト「夜の似合う場所」

 A Good Place for the Night(2002年)[*2]

  イラストレーターのジーラが単身オデッサの博物館へ行った後、

  天変地異が起きた。

  列車内や駅舎で死の瞬間のポーズを保ったまま凝ったような

  人々の死体に囲まれて茫然としていたが、

  生きた人間――国際生態学会議に出席していた科学者の男――と出会い、

  親を亡くした赤ん坊の世話を始めた。

  すぐに事情が判明し、救助も来ると踏んでいたが、

  彼らは老爺と若い修道女と共に年単位の時間を過ごす羽目に。

  自転車で移動するポーランド人男性の来訪によって、

  多少、周囲の状況が呑み込めるようにはなったが、

  まるで終末が訪れたかのようで、希望の光は差して来なかった。

  生活の拠点となった廃ホテルの名は《夜の似合う場所》――。

  ジーラと科学者の男はそれぞれの家族の存在を頭の片隅に追いやり、

  初めからパートナーであったかのように振る舞って

  精神のバランスを取ろうとしたが、赤ん坊が成長するにしたがって軋轢が……。

   救いのない黙示録的情景、鈍麻する感覚と利己主義。

   暗澹たる短編映画のようで魅惑的。

 

■エレナ・ゴメル「エルサレムの死神」Death in Jerusalem(2017年)[*1]

  大学の非常勤教授モールはデイヴィッドと名乗る美男と出会い、

  付き合い始めたが、彼は死神。

  親類だという様々なタイプの《死》を紹介されたモールだったが……。

 

■ペサハ(パヴェル)・エマヌエル「白いカーテン」White Curtain(2007年)[*3]

  前年、愛妻イリーナを亡くしたディマ・マンチェフは、

  理論物理学者だったオレグ・ニコラエヴィチと面会。

  オレグもイリーナを愛していたが、ディマは言わば勝者として結婚に至った側。

  オレグは分岐した世界の if を辿って、

  特定の人物にとっての現状を最適化する能力を持っていた。

  イリーナが若くして病死しない条件を整えてもらいたいディマだったが、

  すげなく断られ――。

 

■ヤエル・フルマン「男の夢」A Man's Dream(2006年)[*2]

  実在の人物を夢に見ると、

  その相手の行動をコントロールすることになってしまう、

  《夢見人》と呼ばれる人が現れた。

  その一人であるヤイルと、彼を支える妻リナ、

  ヤイルに夢見られたために不利益を蒙り辟易するガリアの奇妙な三角関係。

 

■グル・ショムロン「二分早く」Two Minutes Too Early(2003年)[*1]

  巨大な立体ジグソーパズルの世界選手権に挑むリントン三兄妹と

  彼らをサポートする隣人アルフレッド・コリンズ氏。

  荷物の到着が規定より二分早かったのは何故だったか――。

   心温まるストーリーのようでいて、

   実は名誉回復の欲求に取り憑かれた大人が子供を利用する話なので後味が悪い。

 

■ニタイ・ペレツ「ろくでもない秋」My Crappy Autumn(2005年)[*2]

  カフェで働くイド・メナシェは突然恋人オシャーに別れを告げられて動揺し、

  仕事もクビに。

  何故かテルアビブにUFOが降りてきて、

  ルームメイトのマックスが教祖になって信者を集め、

  廃品回収業者アーメッドの相棒である驢馬のトニーは人語を話し出す……

  という混沌とした悲喜劇が、軽佻浮薄にしてリズムのいい口調で語られる。

   面白かったが、自殺を思い立った主人公を物言う驢馬が諌止し

   犠牲になるというのが何の寓意なのか、わからない。

 

■シモン・アダフ「立ち去らなくては」They Had to Move(2008年)[*2]

  アヴィヴァとノームの姉弟は父を亡くし、病身の母と、

  その世話をしてくれるテヒラおばさんと共に暮らす。

  おばさんの書斎にはたくさんの本や雑誌があり、

  それらを読んだ姉弟はあることを察する――。

   序盤でアヴィヴァが自分は父の実子ではないと言っており、また、

   形見のロケットペンダントに特別な意味があるようなのだが、

   それらについての説明はなく、

   テヒラおばさんがいつも同じ古びた青いエナメルの靴を履いていることにも

   事情があるらしいけれども、やはり最後まで種明かしはされない。

   作中で言及される先行SF作品を読めば謎は解けるのかもしれないが……

   別にいいや(笑)。

 

「おお」と唸らされる佳品もあれば「で?」と首を傾げたくなる話も。

かの地の歴史と文化に造詣が深ければ、

もっとピンと来るものがあるのかもしれないが。

ベスト3を挙げるなら、

  1. 完璧な娘

  2. 夜の似合う場所

  3. 鏡

かな。

 

ほとんどが21世紀に入ってから書かれた小説だが、

意外にアナログ&ローテク感が強く、

最新(を超えた)テクノロジーへの言及もほとんど見られないし、

訳者代表があとがきに記しているとおり、

宇宙空間を舞台にした物語も含まれていない。

これはイスラエルSF界が「SF」をサイエンス・フィクション=空想科学ではなく

スペキュレイティヴ・フィクション(speculative fiction)=思弁的空想と

認識しているためだそうで、

なるほど本書の原題も "A Treasury of Israeli Speculative Literature" だった。

父祖の地に根を張ることが肝心で、

別世界へ出て行きたいという想いが強くないから――なのだろうか。

また、常にどこかしら・何かしらと争っているお国柄につき、

フィクションの中でまで戦いが展開するのはいかがなものか……

との考えがあるためか、戦争を含む無惨な描写は少ないようだが、

他方、黙示録的なヴィジョンは好まれやすい、とか。

 

日頃縁のない異文化社会の文学に関心があるので、興味本位で読んでみたが、

帯には来年刊行予定というギリシャSF傑作選『ノヴァ・ヘラス』の告知があり、

こちらも読んでみたいと思った。