深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

ブックレビュー『肉体の悪魔』『ドルジェル伯の舞踏会』

三年半ほど前、

高校生のときに古書店で古い文庫を買って積んだまま読まずに

引っ越し処分していたことを思い出し、反省しつつ光文社古典新訳文庫を購入。

早熟・夭折の天才と言われるレーモン・ラディゲの(短めの)長編小説2冊。

 

 

 

三年半も積んでしまったことを反省しつつ、二冊続けて読んでみた。

 

 

肉体の悪魔

 

作者の分身と思しい語り手〈僕〉の思い出。

分けても15歳からの激動の日々について。

 

第一次世界大戦下のフランス。

〈僕〉は四つ年上の画学生マルト・グランジエと出会い、

興味を募らせていったが、彼女には婚約者ジャック・ラコンブがいた。

しかし、彼女が予定通り結婚した後も互いに秋波を送り続け、

ジャックが戦線に送られた不在のうちに、当然のように一線を超えてしまった――。

 

20世紀不倫小説の古典、但し、当事者が十代なので相当に青臭い。

結末は2パターンのいずれかであろうと予想しつつ読み進めた。


 1.ジャックが戦死し、マルトは晴れて〈僕〉と再婚。

 2.マルトと〈僕〉は白い目で見られる不倫に倦んで関係を清算


が、どちらでもなく、しかも、1・2よりもっとひどいエンディングだった。

 

そもそも〈僕〉は周囲を見下す鼻持ちならないヤツで、

マルトが彼のどこに惹かれたのか、よくわからない。

ジャックに問題があったとすれば、

マルトが絵を嗜むのを快く思っていないらしい点ぐらいだし。

彼女も若かったので、スリルを求めていたということか。

もう一つ考えられるのは、下品な穿鑿で恐縮だが、

マルトにとって性的な相性がジャックより〈僕〉の方がよかったから、かも……

とかね。

とはいえ、独白の中でしばしば愛を口にする〈僕〉は女を嫌いではないし、

その気になればセックスも充分に出来ます、というだけで、本当に女性を――

マルトを――愛しているとは受け取れず、

これはホモソーシャル小説の変形ではないのか?

と疑ってしまった。

女性との性的接触を汚らわしいが避けて通れない道と考える高慢な男子が、

一人の女の人生を踏み躙ってしまう、といった筋書きの。

タイトル"Le Diable au corps"(カラダの悪魔) とは《胎児》ではないのかな。

それが宿ったがためにマルトと〈僕〉は破局を迎えた、という。

いや、不倫なんだから避妊しなさいよって話で。

 

語り手〈僕〉の名が明かされないことには意味があって、

最後に理由が明らかになるのだけれども、その仕掛けだけは面白いと思った。

 

僕は父に、家にある古い本をどうやって運びだしたらいいかと尋ねた。僕にとって、失くしていちばん悲しいのは本だったからだ。(p.26)

 

この言はヨイ。

 

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ドルジェル伯の舞踏会

《主な登場人物》

 フランソワ・ド・セリユーズ:20歳。高等遊民の一種。

 アンヌ・ドルジェル伯爵:30歳。社交界の花形。

 マオ・ドルジェル:ドルジェル伯夫人。名家グリモワール家の出身。

 セリユーズ夫人:未亡人。フランソワの母。

 ポール・ロバン:外交官。フランソワの友人。

 オルタンス:オーステルリッツ公爵夫人。人のいい気さくな女性。

 ヘスター・ウェイン:アメリカ出身。オルタンスの友人。

 ミルザ:ペルシア国王の親戚。軽佻浮薄な貴公子。

 ナルモフ大公:ロシア皇帝ニコライ二世の親族。亡命者。ドルジェル伯の知人。

 

《ストーリー》

1920年2月、パリ。

高等遊民の一種である二十歳の青年フランソワ・ド・セリユーズは、

社交界の花形アンヌ・ドルジェル伯爵およびマオ夫人と出会った。

フランソワの友人で外交官のポール・ロバンも交えてサーカスを楽しんだり

非合法のダンスホールで踊ったりして、彼らは親交を深めていった。

フランソワは次第にマオ夫人に恋情を覚えるようになり、

距離を取るべきか縮めるべきか思い悩む。

一方、マオの心は……。

 

享楽的な暮らしを送る、20世紀になっても貴族としての特権意識を失わない伯爵と

控え目な妻の間に、上品だが物怖じしない青年が割って入る三角関係の物語。

 

フランソワはマザコンであることを自覚し、母から精神的に自立するには

一人前の男として誰か特定の女を愛す必要があると考え、

最良の相手がマオ・ドルジェルだと思い至る。

 

それは恋ではないと思うが(笑)。

 

一方、マオは名家の出で、若くして伯爵夫人となったため、

一般的な意味での社会経験に乏しい女性で、

夫の庇護下で安閑と暮らしていることに引け目を感じていたかもしれない。

そんな彼女が――『肉体の悪魔』の人妻マルト・グランジエとは違って――

実際に不貞を働くわけではないけれども、不意に現れた気品のある――

しかし、実は内面はウジウジ、グシャグシャしている――青年に心を動かされ、

思い悩むという話。

彼女は秘密を抱え込んでいられず、

自分と彼を引き離してくれとフランソワの母に手紙を書き、

遂には夫にも内心を告白してしまう。

面白いのはエンディングでの夫のリアクション。

彼はあくまで妻を籠の中の鳥のように愛で続ける意思を翻さず、結果、

彼女の心は現状以上にフランソワへ傾くことはないとしても、夫との間には、

さながら一枚の紗幕が掛かったかのような距離感が生じてしまうのだった。

マオにもっとバイタリティや図々しさがあれば、

苦労を承知で自由を求めて外へ飛び出す、

イプセン『人形の家』のノラのようになれたのだろうか。

 

 

仮装舞踏会は準備すら中途半端で、一同はこれから改めて各々の役回りを定め、

それに従って上辺だけは楽しそうに、力尽きて倒れるまで踊り続けるのだろう。

 

この警句にはハッとしたが。

 

我々が身の危険を感じるのは、病が我々の中に忍び込んでくるまさにその瞬間だ。いったん病が我々の内に根を張ってしまえば、適当に折り合いをつけることもできるし、忘れていることもできる。(p.105)

 

 

視点が短いスパンで次々に切り替わり、

登場人物の心情が入り乱れるように綴られていて、

日本語の読み物としてはかなりリーダビリティが低いと思う。

いっそ映画を観た方がよほど面白いのでは……という気が。

 

ともあれ、長い年月、棚上げにしていた宿題をようやく片づけた気分。

 

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