キューブリック繋がりでシュニッツラー『夢奇譚』読了。
あ、映画はまだ観ていません。
19世紀ウィーンのブルジョワの倦怠。
35歳の医師フリードリーンは妻子と共に幸福に暮らしていた。
夫婦は仮面舞踏会に参加した翌日、それについて話すうち、
昨夏の旅行中に起きた、相手の知らない出来事を明かすことに。
アヴァンチュール未遂のような各自の一件に、互いに軽い嫉妬を催したが……。
以前、岩波文庫『夢小説・闇への逃走 他一篇』を読んだが、
メモを取らずにダーッと読み流してしまい、収録三編のイメージが入り混じって、
モヤモヤした印象だけが残っていたので、
改めて文春文庫(絶版につき古書)を購入、読了。
今般は主人公の不安や不満、欲望が手に取るように伝わってきた。
夫の多少の浮気は許されるはずだし、妻は許すべきであり、
逆に妻の不貞は、たとえ夢の中であっても(!)
決して許されるものではない――という、一方的で傲慢な男の論理を、
悪夢と現実が溶融するかのような妖しい夜の街が包み込み、打ち砕く様は、
女の読者からすると「ざまあ(笑)」といったところ。
しかも、この妻は夫より年下で、
若くして主婦になったため、社会経験が乏しいにもかかわらず、
なかなか賢くしたたかで、夢破れた夫の帰還を静かに受け入れる姿が痛快。
奇妙な仮装パーティも含めて、フリードリーンを幻惑した一切合切が
何者かによる壮大なドッキリ=プラクティカルジョークだったのではないか
という気もしてくる。
だとしたら、主犯は妻アルベルティーネか、あるいは、
期待を裏切られて悶絶するという
倒錯した悦びを味わいたかったフリードリーン自身の自作自演だったのか、
それとも彼は二重人格?
……そんなことはないか、
いや、わからない、本当のところは、誰にも知る術はない。
余談だが、可愛い幼い娘が一人いると言いながら、
その子供についてほとんど語られないところに、
主人公の性格の冷たさが表れてはいないだろうか?
ともあれ、
> 現実の状況からは、現実に逃げ出すことができる。
> しかし、想像力によって作り出された状況から退却することはできないのだ。
> ――マルセル・コスカ「ロビンソン物語」