深川夏眠の備忘録

自称アマチュア小説家の雑記。

漫勉neo✒諸星大二郎の巻

Eテレ『漫勉neo』諸星大二郎の巻を鑑賞。

 

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浦沢直樹氏との対談中も口数は少ないが、決して不愛想なのではなく、

常にニコニコしていて穏やかな人柄を窺わせる巨匠。

 

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生年だけで言えばいわゆる24年組相当の大ベテラン。

 

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但し、萩尾望都竹宮惠子氏のどちらか、

あるいは両方と親交のあった少女漫画畑の人以外は1949年前後生まれでも

24年組とは呼ばれないらしい。

 

それはさておき。

 

昔、ファンの人がサイトで披露している諸星先生との思い出話を読んだら、

とても温厚で優しい方だと書いてあった記憶があるのだが、

それは本当だったのだな、と嬉しくなった。

しかし、基本的に無口なのか、照れ屋さんなのか、

あまり創作の秘密を明かそうとしてくれないので不安になる視聴者(私)。

 

仕事場にカメラを設置して作業の進捗を観察。

ペン入れの段階でも下描きの延長のような不確定な線描で、

それが独特の作風を生み出すのだろうか(読者に不安を与えるよね……)。

だが、時折ご機嫌な鼻歌が漏れてホッとする視聴者(私)。

 

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「鎮守の森」(初出:漫画アクション増刊『スーパーフィクション』1983年)

『ぼくとフリオと校庭で』収録

 

床に蒲団を敷いて仮眠タイム、そこで「これも放送するんですか?」って、

かわゆいな、巨匠。

 

例えば楳図かずお作品などを面白い、好きだと思うが、

あの怖さは真似できないので、

恐怖漫画を描きながらもどこか可愛くしてしまう傾向が……とおっしゃる。

そうだったのか。

 

余談だが、吉祥寺周辺には怪奇漫画家を吸い寄せる磁場でもあるのか?

楳図かずお然り、諸星大二郎然り、高橋葉介然り……)

 

「女の子を描いていると楽しい」とは、何とも正直な(笑)!

そうそう、諸星作品の好きな点の一つは

女の子が意外に(←失礼💧)かわゆいことなのだった。

人体をいかにも漫画らしくデフォルメしない、

自然な描き方が却ってエロティシズムを醸し出すのだなぁ……。

 

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失楽園」(初出『マンガ少年』7~8号:1978年)のララ
失楽園 (ジャンプスーパーコミックス)

失楽園 (ジャンプスーパーコミックス)

 

 

絵に自信がないから少しでもよくしようとして描き込みを加えていくのだが、

作業を進めつつ、もっと考えて描けよと自らに駄目出しするとか、

それでいて、スクリーントーンの貼り方が大胆過ぎる(=雑ww)とか、

謙虚でありながらアグレッシヴな姿勢がカッコイイ。

 

何故、人は諸星作品に惹かれるのか――という疑問に答えを出す浦沢氏曰く、

誰もが一度は見る奇怪な悪夢を写し取ったかのような作品群だからでは。

確かに。

 

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「遠い国から 追伸 カオカオ様が通る」(初出『COMICアレ!』1994年)『壁男』収録
壁男 (双葉文庫 も 9-4 名作シリーズ)

壁男 (双葉文庫 も 9-4 名作シリーズ)

 

 

濃密な一時間ではあったが、もっと古い作品の話題に触れてほしかったかな……。

 

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栞と紙魚子「青い馬」(初出『ネムキ』1996年)

 

栞と紙魚子のシュールで無責任なやり取りも大好き♥

 

で、ブクログ本棚に登録した諸星作品群を並べてみたら、こんな感じだった。

あまり熱心なファンではないので(スミマセン)

更新が停止している感が否めませんが……。

 

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深川のブクログ本棚より #諸星大二郎

ああ、またいろいろ読み返したくなってきた。

個人的には初期の、それこそ読んでいてモロに不安を掻き立てられる

(ちょっぴりラヴクラフト臭も感じられる)短編群が特に好きだ。

 

不安の立像 (ジャンプスーパーコミックス)

不安の立像 (ジャンプスーパーコミックス)

 

 

DVD鑑賞記『デッド・ドント・ダイ』

ジム・ジャームッシュ監督、ビル・マーレイ主演のゾンビコメディ映画

『デッド・ドント・ダイ』のDVDを購入、鑑賞。

 

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左側はおまけに付いてきたジャケットと同デザインのポストカード。

 

のどかな田舎町で異変が起き、身構えるたった三人の警察官。

時計が止まったり、充電したはずのスマホが使えなくなっていたりと

異常事態が発生し、

ニュースでは極地での大規模工事が地軸に悪影響を及ぼしているのでは、

云々。

それが関連しているかどうかはともかく、

土葬された遺体が墓を倒して夜の闇をヨタヨタ歩き、

各々が欲しいもの、固執しているものを求めてさまよい、

生きた人間に出くわしたら襲って仲間にするのだが、

跡継ぎのいなくなった葬儀社の仕事を引き受けた謎めいた女性ゼルダ

日本刀を振るってヤツらをバッタバッタと薙ぎ倒す――。

 

そこまではよかったんですけどねぇ(笑)。

 

新型コロナのせいで劇場で観るタイミングを逃したので、

物凄く期待して心待ちにしていたのだが、拍子抜け。

序盤はドキドキワクワクしたのだけれども……(苦笑)。

えー、これで終わりィィ??

と思ったが、いや、大体ゾンビものってカタルシスの得られない、

こんな感じの映画なんじゃなかったっけ?

という気もした。

 

監督が描き出したゾンビは、拝金主義や際限のない物欲と、

それらを抑えられない人間を戯画化した存在なのだろう。

集合体に取り込まれる者たちと、

それを離れて眺める世捨て人という図式から

諸星大二郎「生物都市」を連想した。

 

失楽園 (ジャンプスーパーコミックス)

失楽園 (ジャンプスーパーコミックス)

 

 

しかし、

キング・オブ・デトロイト・パンク、イギー・ポップ大魔王が

コーヒー大好きゾンビの役とは……(うぷぷ)。

 

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デッド・ドント・ダイ [DVD]

デッド・ドント・ダイ [DVD]

  • 発売日: 2020/11/04
  • メディア: DVD
 
デッド・ドント・ダイ [Blu-ray]

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  • 発売日: 2020/11/04
  • メディア: Blu-ray
 

 

それにしても、セレーナ・ゴメスちゃんって童顔よね(カワイイけど)。

映画の中では15歳くらいにしか見えなかったぞ……。

 

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ブックレビュー『無明長夜』

三島由紀夫「小説とは何か」(1968~1970年:新潮社『波』連載)を

二回読んで(一度目は特に何とも思わなかったが)

二度目(平凡社ライブラリー幻想小説とは何か』収録)に

「おや?」と思った芥川賞作家・吉田知子の短編集

『無明長夜』を中古で購入、読了。

 

 【一度目】

【二度目】

 

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吉田知子無明長夜』書影

■寓話(1966年)

 著者デビュー作。

 偏屈な書家・桑木石道はカルト的な人気を誇りつつ、

 信奉者たちが訪ねてきても一言も口を利かないなど、奇行で知られていた。

 年の離れた若い妻・裕子と、

 結婚前からの住み込みの家政婦・浜と共に静かに暮らしていたが、

 あるとき胡散臭い若者・多田が居着き……。

  何の寓意なのか見当もつかないが、

  息の長い文体で奇妙な成り行きが淡々と綴られていて、

  半笑いでスルスルッと読み進めてしまった。

  最初は気難しい芸術家が周囲を振り回していたのだが、

  彼もまた運命に翻弄される一個の無力な人間だったということか。

 

■豊原(1967年)

 タイトルは日本の領有下における南樺太の市で、1949年に廃止され、

 現在の名称はユジノサハリンスク

 Wikipediaによれば、作者自身が終戦時に居住していたという。

 語り手「僕」は父の仕事の都合で家族三人、豊原へ移住したが、

 それ以前から母には奇矯なところがあり、

 「僕」は子供ながらに母とどう接し、理解し合えばいいのかわからずにいた。

 母は身体的な暴力には及ばなかったが「僕」を無視したり、

 度々意味不明な呟きを漏らしたりして「僕」をとまどわせ続けた。

 父がソ連軍に連行されて帰らなくなると、

 母は意外な社交性を発揮して仕事を見つけ、

 友人らしき人も出来た様子だったが、

 遅く帰宅した「僕」を父(夫)と誤認するなど、やはりおかしな点が多かった。

  読者の目線からすると、母には性格上の極端な偏りがあるというか、

  ひょっとしたら、ある種の精神的な軽度の病症を

  発していたのではなかろうかという印象を受ける。

  《毒親》という言葉が人口に膾炙した現在の方が、

  読者の理解が得やすかろうと思われる、うら寂しい物語だが、

  相互に愛情が感じられず、手枷足枷になる一方なら、

  子が親を捨ててもいいではないかと、私も考える。

 

■静かな夏(1967年)

 写真店に勤める祐吉とアパートで同棲する「私」はスーパーで働いているが、

 要領よくサボる工夫に余念がない……といった、暢気な日常の叙景と思いきや、

 ところどころに不審な違和感を覚えつつ読み進めると、

 実はとても恐ろしい話だった、という掌編。

 途中で一度も首を傾げなかった人は結構危ないヤツだと思う(笑)。

 

■終りのない夜(1968年)

 気がつくと「私」はどことも知れない夜の町を歩いていて、

 疲れたので休息したいのだが、

 行き会うのは奇妙な家と人ばかりで思うに任せない。

 そのうち、奇怪な老婆と言葉を交わし……。

  読み始めてすぐ、山岸涼子「化野(あだしの)の…」を連想。

  また、倉橋由美子の初期の作品に近い、

  読んでいて生理的嫌悪感を催すテイストでもある。

  まとわりつく老婆は「私」の未来の姿らしいが、

  「私」がいなければおまえも存在しないのだと喝破して

  相手を振り切った「私」は冒頭の情景に回帰するという円環構造。

 

 【「化野の…」収録本】

ブルー・ロージス (文春文庫―ビジュアル版)

ブルー・ロージス (文春文庫―ビジュアル版)

  • 作者:山岸 凉子
  • 発売日: 1999/11/10
  • メディア: 文庫
 

 

■生きものたち(1970年)

 動物や昆虫をモチーフにした掌編集としての一編。

  「鷹」 動物や無機物のお面を作って遊ぶ少年が鷹になり……。

  「犬」 離婚して会社に勤めながら一人暮らしをする男に付きまとう犬。

  「烏」 子供のいない三十代後半の夫婦が様々な事情で転居を繰り返し、

     ようやく終の棲家となる建売住宅を購入したが、

     妻は様々なものを次々に恐れ、精神的に追い込まれ……。

  「ライオン」 少年が遊び場にしている自宅の廃工場に住み着いた男。

  「猫」 夫に先立たれ、年老いて目が不自由になった

     おくめ婆さんは生活保護を受けているが、

     禁止された猫をこっそり飼っている。

  「蓑虫」 夫・耕の不倫相手・まだ年端も行かぬ小娘の山本品子から、

      それを打ち明けられた佳子は夫に向かって

      人間ではない何か別の生き物になりたいと呟く。

■わたしの恋の物語(1970年)

 三日周期で不眠と嗜眠を繰り返す「わたし」。

 「旦那」と呼ばれる人物、飼っているはず(?)の猫、

 そして「わたし」とセックスしたがっている恋人の美青年S、及び、

 干したままの蒲団(を心配すること)を巡る物語。

 セリフに相当する箇所がカタカナ表記なので、

 倉橋由美子の初期作品を連想したが、別に面白くはない。

 当時そんな書き方が流行っていたのか。

 邪推だが、現代より遙かにコテコテの男社会だった文学界で、

 純文学(って最早何?)を指向する女性の作家は、

 こういう斜に構えたスタイルを取らざるを得なかったのだろうか。

 

無明長夜(1970年)

 芥川賞受賞作。

 語り手である30歳くらいの女性「私」は、

 御本山と呼ばれる田舎の大きな寺・千台寺を擁する山に焦がれていたが、

 宗教上の信仰とは違う性質の、名付け得ぬ畏敬の念に打たれてのことだった。

 25歳のときに見合いによって千田吉彦と結婚したが、

 相手に独身でいては都合が悪い仕事上の事情があったためで、

 互いに愛情や尊敬の念を抱きもせず、姑との間に軋轢が生じるでもなく、

 子宝にも恵まれずに淡々と暮らしていたところ、

 吉彦が出張に出たきり失踪し、

 扱いに窮した会社はしばしの猶予の後、退職扱いにすると連絡してきた。

 姑と二人きりで暮らすのは辛かろうと慮ってか、

 実母が小さな家を借りてくれたので、そこに身を落ち着けた「私」は

 少女時代の御本山への憧れを再燃させるようになった――。

  万事に感性が鈍く(?)周りの思惑に流されて生きていくだけであっても

  「きっと世の中はそういうものだから」と考えて、

  逆らうでも自分の意志を押し通すでもない、そもそも、

  これだけは譲れないといった特定の事物へのこだわりがない「私」の中で、

  唯一静かに燃え続けていたのが御本山への憧憬であり、

  それは実は八歳のときに偶然、濡れ縁を歩く僧侶を見かけ、

  名も知らぬその人を「かれ」と呼んで静かに慕ってきたためだったのだが、

  夫に行方を晦まされた今、いよいよ「かれ」と実地に対面してみると……

  といったストーリー。

  序盤の思い詰めた風な語り口に引き込まれたが、

  感情移入しにくいキャラクターであり、

  終盤の展開は作者が着地点を考えあぐねて力技に持ち込んだ感が否めない。

  この点については解説者・白川正芳も、

  また三島由紀夫も「小説とは何か」(1968~1970年:新潮社『波』連載)で

  指摘している。

 

無明長夜(新潮文庫)

無明長夜(新潮文庫)

 

 

以上、ガッツリしたネタバレを避けつつ、つらつら述べてみた。

「寓話」と「豊原」は素晴らしく面白かったが、

読者としてはページを捲るごとにトーンダウンしてしまったのだった。

 

カクヨム新イベント:月の物語🌙

カクヨムで12回目の自主企画スタートです(早いもんだ)。
題して『月の物語🌙』。

 

kakuyomu.jp


今回は、ごくシンプルに、
作中で moon が重要なモチーフになっている完結した小説を集めたい、
という趣旨。
秋の夜長にヴァーチャル月見はいかがですか、といったところです。

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《月の物語🌙》イメージ画像

 

アカウントをお持ちの方で、該当する作品がある、
または、締め切り日までに書き下ろせた方は奮ってご参加ください。
カクヨムに登録されていない方でも閲覧は可能です。
よろしくお願いします。

 

#私がやってる創作をざっくり言う→小説書いています。

 

ブックレビュー『シオンズ・フィクション』

昨年から(だったかな?)チラホラ噂を聞いていた

イスラエルのSFアンソロジーが本当に出た……ので購入、読了。

 

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イスラエルSF&ファンタジー界の中心的人物らによるSF短編選集。

原文が英語の作品[*1]あり、ヘブライ語→英語→日本語[*2]、

あるいはロシア語→英語→日本語[*3]という重訳もあり。

訳者あとがきを含めると700ページを超す大部。

収録作は、

 

■ラヴィ・ティドハー「オレンジ畑の香り」

 The Smell of Orange Groves(2011年)[*1]

  鐘威衛(ジョン・ウェイウェイ)はユリア・ラビノヴィッチと結婚し、

  息子にヴラドと名付けた。

  ヴラド・チョンの息子はボリス・アーロン・チョン。

  威衛は自らの、そして、家族の思い出が未来永劫、色褪せないように祈ったが、

  テクノロジーの進歩も手伝って願いは叶い、

  医師であり、宇宙へ出て地球に帰還したボリスは今や、

  祖父や父や甥も含めて、一族の記憶に常時アクセス可能となっていた。

   断絶しないどころか時間軸を遡行することさえ可能な父系の絆=記憶は、

   ユダヤ人がいかに各地に散らばろうとも必ず集合するための

   縁(よすが)を意味するか。

   しかし、それは部外者には足枷のように

   人を縛り付ける鬱陶しいもののようにも映る。

 

■ガイル・ハエヴェン「スロー族」The Slows(1999年)[*2]
  加速促進幼児成長(accelerated offspring grows=AOG)技術が開発され、

  子供時代に猛スピードで成長し、大人になってから死ぬまでの人生を

  長く充実したものにすることが当たり前になった世の中。

  そこでは現役世代として活躍している間に子孫を(40世代後までも!)

  増やせるが、AOGを拒否して本来のスピードのままで子育てをする

  《スロー族》が希少種として保護されていた。

   乳飲み子を抱えたスロー族の女性と研究者との

   決して噛み合わない会話を通して、

   “早く大人になって幸福な余生を”という価値観の異様さが浮き彫りにされる。

   成人年齢があまりにも低く設定されている社会は、

   人を子供のうちに結婚させたり、兵士として徴用したりするから

   好戦的になりがち――といった文章をどこかで読んだ記憶が蘇った。

 

■ケレン・ランズマン「アレキサンドリアを焼く」Burn Alexadria(2015年)[*2]

  タイトルはプトレマイオス朝時代からローマ帝国時代の

  アレクサンドリア図書館と、その焼亡に由来。

  タイムトラベルを行っては、

  行った先の文化を記録する〈惑星地球の統一連合図書館〉。

  主任司書と接触した捜査官たちの困惑が描かれる。

  実は彼らは……。

   解説によると、作者は歴史上のアレクサンドリア図書館を

   フィクションの中で救済すべく本作を執筆した由。

   重要なものを外敵から守るため、

   データを保存・隔離した上で容れ物を破壊するという筋書きが、

   図書館の中味を罹災させないことと重ねられ、

   同時にロボット工学三原則にも触れている。

 

■ガイ・ハソン「完璧な娘」The Perfect Girl(2005年)[*1]

  パーフェクト・ガールすなわち完璧な女の子、つまり、

  若く美しいまま既に死んでいる無敵の少女に振り回される生者の話。

  大江健三郎「死者の奢り」を思い出したが、

  こちらはアメリカのサイコホラー風の雰囲気。

 

死者の奢り

死者の奢り

 
死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

 

 

  超能力者がトレーニングを受ける全寮制のインディアナポリス・アカデミーに

  入学したアレグザンドラ・ワトスンは、

  厳しいルールとカリキュラムに耐えようとする中、

  実習で真新しく美しい遺体に触れて残留思惟を読み取ろうとする。

  ところが、アレグザンドラは彼女=ステファニー・レナルズの境遇に

  共感を覚える点が多いせいもあって深入りしてしまい、

  もう死んだ人であるにもかかわらず、彼女の強い感情の昂りに振り回される。

 

■ナヴァ・セメル「星々の狩人」Hunter of Stars(2009年)[*2]

  歴史上〈小さな光の掩蔽〉と呼ばれる現象が起きて十年。

  人間が放出した有毒ガスのせいで空気が汚れ、

  すべての星の光が遮られてしまった。

  だが、掩蔽の晩に誕生したネリと親友のシェリ

  未来への希望と共に生きている。

 

■ニル・ヤニヴ「信心者たち」The Believers(2007年)[*2]

  人々は〈神〉の出現によって、

  宗教上の戒律を破ると罰として身体を破壊され、血飛沫を上げて消滅。

  〈わたし〉は仲間と共に、そんな〈神〉に立ち向かう不信心者となった――

  という話。

 

■エヤル・テレル「可能性世界」Possibilities(2003年)[*1]
  20年前、50歳の折、小説家サイモンは女性占い師セデフに、

  19歳のとき従軍しなかった朝鮮戦争に加わっていたら

  どうなっていただろうかと問いかけた。

  今、病床で過去を回想するサイモンの許へ、セデフが面会に訪れ……。

   ブラッドベリの短編「埋め合わせ」(2000年)への

   オマージュ作品だそうだが、今一つピンと来ない。

 

■ロテム・バルヒン「鏡」In the Mirror(2007年)[*2]
  女性のパートナー同士、同居し、猫と共に暮らすダニエルとリロン。

  ある日、どちらかの不手際で猫を事故死させてしまい、激しく落ち込む。

  ダニエルは祖母の形見の鏡を割って、別の世界で生きる自分の様子を探る。

  様々な局面でいくつかの分岐点があり、

  現在の自分とは違う方へ進んだ他の自分たちを。

  リロンと信頼し合い、しかし、猫のミカを失った“今”“ここ”の自分が

  少しはマシな状態であるように……と。

  しかし――。

   訳者が市田泉と記されているが、正しくは安野玲と版元HPに訂正あり。

 

■モルデハイ・サソン「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」

 The Stern-Gerlach Mice(1984年)[*2]

  タイトルは、電子にスピンがあるのを示す

  「シュテルン=ゲルラッハの実験(The Stern-Gerlach experiment)」に由来。

  巨大化して(また小さくなることも出来る)知能を持った鼠が

  エルサレムに溢れ、人間を攻撃するが、ポンコツなロボットがそれに対峙。

 

ja.wikipedia.org

 

■サヴィヨン・リープレヒト「夜の似合う場所」

 A Good Place for the Night(2002年)[*2]

  イラストレーターのジーラが単身オデッサの博物館へ行った後、

  天変地異が起きた。

  列車内や駅舎で死の瞬間のポーズを保ったまま凝ったような

  人々の死体に囲まれて茫然としていたが、

  生きた人間――国際生態学会議に出席していた科学者の男――と出会い、

  親を亡くした赤ん坊の世話を始めた。

  すぐに事情が判明し、救助も来ると踏んでいたが、

  彼らは老爺と若い修道女と共に年単位の時間を過ごす羽目に。

  自転車で移動するポーランド人男性の来訪によって、

  多少、周囲の状況が呑み込めるようにはなったが、

  まるで終末が訪れたかのようで、希望の光は差して来なかった。

  生活の拠点となった廃ホテルの名は《夜の似合う場所》――。

  ジーラと科学者の男はそれぞれの家族の存在を頭の片隅に追いやり、

  初めからパートナーであったかのように振る舞って

  精神のバランスを取ろうとしたが、赤ん坊が成長するにしたがって軋轢が……。

   救いのない黙示録的情景、鈍麻する感覚と利己主義。

   暗澹たる短編映画のようで魅惑的。

 

■エレナ・ゴメル「エルサレムの死神」Death in Jerusalem(2017年)[*1]

  大学の非常勤教授モールはデイヴィッドと名乗る美男と出会い、

  付き合い始めたが、彼は死神。

  親類だという様々なタイプの《死》を紹介されたモールだったが……。

 

■ペサハ(パヴェル)・エマヌエル「白いカーテン」White Curtain(2007年)[*3]

  前年、愛妻イリーナを亡くしたディマ・マンチェフは、

  理論物理学者だったオレグ・ニコラエヴィチと面会。

  オレグもイリーナを愛していたが、ディマは言わば勝者として結婚に至った側。

  オレグは分岐した世界の if を辿って、

  特定の人物にとっての現状を最適化する能力を持っていた。

  イリーナが若くして病死しない条件を整えてもらいたいディマだったが、

  すげなく断られ――。

 

■ヤエル・フルマン「男の夢」A Man's Dream(2006年)[*2]

  実在の人物を夢に見ると、

  その相手の行動をコントロールすることになってしまう、

  《夢見人》と呼ばれる人が現れた。

  その一人であるヤイルと、彼を支える妻リナ、

  ヤイルに夢見られたために不利益を蒙り辟易するガリアの奇妙な三角関係。

 

■グル・ショムロン「二分早く」Two Minutes Too Early(2003年)[*1]

  巨大な立体ジグソーパズルの世界選手権に挑むリントン三兄妹と

  彼らをサポートする隣人アルフレッド・コリンズ氏。

  荷物の到着が規定より二分早かったのは何故だったか――。

   心温まるストーリーのようでいて、

   実は名誉回復の欲求に取り憑かれた大人が子供を利用する話なので後味が悪い。

 

■ニタイ・ペレツ「ろくでもない秋」My Crappy Autumn(2005年)[*2]

  カフェで働くイド・メナシェは突然恋人オシャーに別れを告げられて動揺し、

  仕事もクビに。

  何故かテルアビブにUFOが降りてきて、

  ルームメイトのマックスが教祖になって信者を集め、

  廃品回収業者アーメッドの相棒である驢馬のトニーは人語を話し出す……

  という混沌とした悲喜劇が、軽佻浮薄にしてリズムのいい口調で語られる。

   面白かったが、自殺を思い立った主人公を物言う驢馬が諌止し

   犠牲になるというのが何の寓意なのか、わからない。

 

■シモン・アダフ「立ち去らなくては」They Had to Move(2008年)[*2]

  アヴィヴァとノームの姉弟は父を亡くし、病身の母と、

  その世話をしてくれるテヒラおばさんと共に暮らす。

  おばさんの書斎にはたくさんの本や雑誌があり、

  それらを読んだ姉弟はあることを察する――。

   序盤でアヴィヴァが自分は父の実子ではないと言っており、また、

   形見のロケットペンダントに特別な意味があるようなのだが、

   それらについての説明はなく、

   テヒラおばさんがいつも同じ古びた青いエナメルの靴を履いていることにも

   事情があるらしいけれども、やはり最後まで種明かしはされない。

   作中で言及される先行SF作品を読めば謎は解けるのかもしれないが……

   別にいいや(笑)。

 

「おお」と唸らされる佳品もあれば「で?」と首を傾げたくなる話も。

かの地の歴史と文化に造詣が深ければ、

もっとピンと来るものがあるのかもしれないが。

ベスト3を挙げるなら、

  1. 完璧な娘

  2. 夜の似合う場所

  3. 鏡

かな。

 

ほとんどが21世紀に入ってから書かれた小説だが、

意外にアナログ&ローテク感が強く、

最新(を超えた)テクノロジーへの言及もほとんど見られないし、

訳者代表があとがきに記しているとおり、

宇宙空間を舞台にした物語も含まれていない。

これはイスラエルSF界が「SF」をサイエンス・フィクション=空想科学ではなく

スペキュレイティヴ・フィクション(speculative fiction)=思弁的空想と

認識しているためだそうで、

なるほど本書の原題も "A Treasury of Israeli Speculative Literature" だった。

父祖の地に根を張ることが肝心で、

別世界へ出て行きたいという想いが強くないから――なのだろうか。

また、常にどこかしら・何かしらと争っているお国柄につき、

フィクションの中でまで戦いが展開するのはいかがなものか……

との考えがあるためか、戦争を含む無惨な描写は少ないようだが、

他方、黙示録的なヴィジョンは好まれやすい、とか。

 

日頃縁のない異文化社会の文学に関心があるので、興味本位で読んでみたが、

帯には来年刊行予定というギリシャSF傑作選『ノヴァ・ヘラス』の告知があり、

こちらも読んでみたいと思った。

 

100分de名著『谷崎潤一郎スペシャル』録画視聴。

100分de名著『谷崎潤一郎スペシャル』全4回を録画して一気に鑑賞。

濃いっっ(笑)!

 

www.nhk.or.jp

 

Chapter-1「痴人の愛

 世間の価値観が時代と共に変化してもブレなかった独自の谷崎美学に迫る。

 彼は日本文学に脈々と息づく色好みの正統な後継者だったか。

 その証拠に、

 自分好みの女性に育ちそうな小娘を手塩にかけて理想を実体化せんとする、

 「痴人の愛」の主人公・河合譲治の発想は光源氏と同じ。

 そして、語り手の五感を通して構築される女性の美には、

 谷崎の鑑賞眼が活きている。

 醜行から立ち昇る絶対的な美→男尊女卑思想の敗北。

 男たるもの……などと肩肘張って生きるより、

 本当は若く美しく溌溂とした女に足蹴にされたい、

 なんていう秘めた欲望に忠実になった方が、余程楽しい人生ではないですか?

 とでも問いかけているかのよう。

 

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痴人の愛

痴人の愛

 

 

Chapter-2「吉野葛

 「吉野葛」の三層構造=意識~無意識への旅――

  語り手の旅と執筆の動機 >> 同行する友人の事情 >> 現地での出来事――

 は、泉鏡花文学の型と共通するか。

 若くして亡くなった母は決して年老いないので、

 イメージの世界で永遠の美女として生き続ける……という発想。

 また、日本橋生まれの江戸っ子・谷崎の関西移住は、

 関東大震災がきっかけではあるが、西への移動は

 中央への離反=母権性あるいは敗者の歴史への傾倒からではなかったか……。

 

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吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

吉野葛・盲目物語 (新潮文庫)

 
吉野葛・蘆刈 (岩波文庫 緑 55-3)

吉野葛・蘆刈 (岩波文庫 緑 55-3)

 

 

Chapter-3「春琴抄

 ボルヘスもかくやといった架空の伝記=メタフィクション

 句読点がほとんどなく一気呵成に語られる、意図された聞き書き風の文体。

 時代背景に言及しない書き方は、

 谷崎自身の愛への引き籠もり生活(細君譲渡事件~再婚~不倫、等々)と呼応。

 ひたひたと迫る軍靴の音から耳を塞いだような態度にも、

 男尊女卑思想の否定が読み取れないだろうか。

 そして、虚構の時間を現実の時間と重ね合わせなかったからこそ、

 作品を古びさせないことに成功したのではなかろうか。

 ところで、日本を代表する大文学者の他の代表格、

 例えば川端康成三島由紀夫は視覚的文章の達人だったが、

 谷崎は語り手の目に映ったものの描写より、それ以外の感覚を研ぎ澄ませて、

 例えば暗がりの中で手を触れたら冷たかった、柔らかかった……といった、

 より肉感的な叙述を得意とした。

 

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春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

 
春琴抄・盲目物語 (岩波文庫)

春琴抄・盲目物語 (岩波文庫)

 

 

 『春琴抄』は学生時代に読んだが、感想は「佐助どんはマゾよねぇぇぇ」だった。

 しかし、時間が経って思い返すに、結局、

 事態は佐助の望んだとおりに展開したのだろうと感じられるようになった。

 春琴‐佐助=主‐従 と見えて、実は逆だったのではないか……と。

 

 

Chapter-4「陰翳礼讃」

 日本における西洋化の波が上流階級から庶民レベルにまで下りてきて浸透した後、

 江戸の伝統への懐古が谷崎に書かせたのが『陰翳礼讃』か。

 

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陰翳礼讃・文章読本 (新潮文庫)

陰翳礼讃・文章読本 (新潮文庫)

 
陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫)

陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫)

 

 

時代に囚われない作家だった谷崎は、

それでいて逐次変態性をアップデートしていったらしい。

解説者・島田雅彦

「男尊女卑主義者に谷崎流土下座の作法を学んでほしい(笑)」に膝を打った。

 

 

谷崎潤一郎スペシャル 2020年10月 (NHK100分de名著)

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  • 作者:島田 雅彦
  • 発売日: 2020/09/25
  • メディア: ムック
 

 

吹越満さんの抑制的なナレーションも素晴らしく、濃密な100分間を堪能した。

 

最近書いていますか? その5。

新しいカクヨム自主企画を立ち上げてから、ふと思いついたことがありまして。

 

fukagawa-natsumi.hatenablog.com

 

そうだ、今度はあれをやってみよう、でも、

自分にもまだお題に当て嵌まる作品がないぞ、これを機に書かねば……!

などと考えたワケです。

こう言っても何のことやらと思われるだけでしょうが(ネタはまだ秘密)。

で、ともかく新しい課題にぶつかったら当たって砕けてみるのが

今年のポリシーなので、取りかかりました。

ある形式で綴る掌~短編小説で、

内容は拙作「さえずり」(『フラゴナールの娘』同時収録)の番外編。

 

フラゴナールの娘

フラゴナールの娘

 

 

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※他にも楽天koboなどの電子書籍および自費出版本の委託販売先がございます。

 

fukagawanatsumi.wixsite.com

 

しかし、この調子だと当のセルフ課題(掌)短編も

書きかけの戯曲(現在完成度55%くらい)も仕上がらないまま

年を越してしまいそうなのが怖い……。

ああ「秋には完成するだろうか」なんて希望的観測を述べていましたね、

情けない(トホホ💧)。

 

まあ、今月は「コンパニェーロ」を発表しただけよしとしよう(笑)。

 

kakuyomu.jp

 

来月はどうなることやら……。