前々から気にかけていた出版芸術社《ふしぎ文学館》シリーズ。
遂に手に取ったのは昭和の大官能作家(!)宇能鴻一郎の
初期短編集(1963~1970年)。
純文学からポルノに転向する途上の怪奇幻想系作品全10編。
芥川賞受賞作家とは、
この本を読むに当たってWikipediaを覗くまで知らなかった……。
ja.wikipedia.org
収録作から浮かび上がるのは、女性に対する屈折した感情――のようなもの。
メインキャラクターたちは性愛への憧れを強く抱きつつも希望を叶えられず、
悶々としながら闇の彼方へ退場する。
基調はマザコン×マゾヒズムか。
肉体的にも精神的にもタフな女性に踏みつけられたい……とでもいった風な。
■地獄の愛(1969年)
女子医大生・美樹の憧れの“おじさま”梶原の秘密。
戦時中、見習い軍医として南方へ赴いた彼は
奇怪な体験によって普通の女性を愛せなくなっていた。
核心に入る前の美樹の性行為の描写などが邪魔。
■柘榴(1966年)
母を病で失い、父と弟との三人暮らしになった淳司は、
徐々に身体の各部が麻痺して感覚を失っていく中で、
整復道場に通ってマッサージを受けている。
担当の若い女性・清子に惹かれるが、
淳司はつい自らを卑下して心にもないことを言ってしまい、清子を悲しませる。
女性の魅力を、その人が放つ「匂い」から嗅ぎ取る習慣がつき、
夢想の中で局部と柘榴の爆ぜ目を同一視する話だが、
前半の母とのエピソード=柘榴のイメージに辿り着くまで=が長過ぎる印象。
■花魁小桜の足(1969年)
長崎くんちの喧噪を愉しみ、美食に溺れた語り手は胃が苦しくなって、
按摩師を手配してもらい、事なきを得た。
その地元の按摩師が語った江戸時代の花魁・小桜の物語。
名もなき"散策子"が旅情とグルメについて語る序盤は
泉鏡花作品のようでワクワクしたが、伏線が回収されないというか、
そもそも張られておらず、
"散策子"と按摩師の対話に復さず尻切れトンボで終了するのがもったいない。
■菜人記(1963年)
寂れた漁村で虐げられて暮らす、通称・蓑虫太郎の悲劇。
一貫して残酷な、救いのない話で、さもありなんというラスト。
■わが初恋の阿部お定(1970年)
初恋の女性が阿部定だったという語り手の被虐嗜好について。
長じて仕事でインドへ行った彼は、
娼婦と交渉を持って自分好みの演技をしてもらう気でいたが、
互いの勘違いが裏目に出てトンだ展開に。
■狩猟小屋夜ばなし(1969年)
インドでハンティングを楽しむ日本人たちが、暇潰しに小屋で一つ話を語る。
ガイドの男性の美貌のインド人女性との恋と、その無惨な結末や、
医師の性癖、貿易商の幼少時のエピソード。
■美女降霊(1970年)
舞踊家の妻を失った一ノ瀬は
霊媒師を頼って巫女の身体に妻の霊を降ろしてもらおうとする。
事故で亡くなった愛妻リリが最期に何を想っていたかを聞き出したかったのだ。
口寄せは一応成功し、リリは無事に成仏できそうな気配だったが、
関連があるような、ないような、よその霊まで巫女に降りてきて阿鼻叫喚(笑)。
■べろべろの、母ちゃんは……(1969年)
母が美しい足で桶の中身を踏んで作る蒟蒻に魅了された恵市。
その肌触りに取り憑かれた彼は長じて結婚したものの……。
■お菓子の家の魔女(1970年)
奇妙な招待状を受け取った河村はクリスマスイヴの夜に家を抜け出し、
秘密のイベントへ。
SMショーらしきものの連続の後に見た夢は……。
河村は亡母への潜在的な畏怖と崇敬と愛憎を再認し、
妻の未来像に想いを馳せる。
■リソペディオンの呪い(1970年)
lithopedion(石児)
=妊娠中に死亡した胎児が母体に吸収されず、
異物反応の一部として石灰化したもの。
大分某所の巨大鍾乳洞の曰く因縁。
石灰乳が凝って地蔵のような形を成し、
石汁地蔵と呼ばれるようになった地蔵を口実に人々を脅す行者を
邪険にした村長が見舞われた不幸。
妻の体内にリソペディオンが生じ、三十年も経って排出されたが、
それは石汁地蔵を破壊した村長への報いでは……との噂が流れた。
前後して誕生した村長の孫・釜足は発育不全に。
釜足は人付き合いを避け、鍾乳洞に入り浸って母の幻とばかり対話。
彼は新しい石汁地蔵を発見し、金槌で破壊して村を出た――。
面白かったが、期待していた風合いとは少し違っていた。
多分、文体の好みの問題だろう。
表紙は山田裕子「コレクション2005」。
桃色の尻、尻、尻……(困惑💧)。